No.83実は私、小説も書いてます❗その18

 コロナの新規感染者数が全国で1日2万人を超える日もあり、重症者数もどんどん増えて、前代未聞の危機的状況になっています。

 その上、医療現場が逼迫し、入院の必要な患者が増大して、宿泊施設や自宅で亡くなる方も増えています。そういうニュースを見るたびに、胸が締め付けられるようです。

 私の家の近所でも、9月12日の緊急事態宣言解除?まで休業する商店が増えてきています。廃業した商店もあります。

 そういう状況でありながら、相変わらず街には人が溢れていて、コロナに関するニュースが少なくなり、「慣れ」の様相が見られるように思います。

 若者への感染が増大し、重症者も増えて、感染者数も今までの最多を、多くの自治体で数えているのに、私はこの「慣れ」は、本当に無視できない状況だと危機を感じています💦。

 

 こんな状況なのに、なぜまだ大規模医療施設が設定されないのでしょう⁉️中国のように、10日間で千人規模の大病院を建造せよと言っているわけではありません。

 今ある体育館でも、ワクチン接種に使っている大型施設でもいいから、パーティションで囲ってベッドを入れて、医療従事者を配置して、せめて自宅療養せずに医療の手が届く状態にできないものでしょうか。

 ファストドクターに訪問してもらうより効率的で、家族への感染も避けることができるのに・・と私は思います。

 パラリンピックは素晴らしい取り組みですが、そのために医師や看護師が100人以上動員されます。それだけの医療従事者が医療現場にいてくれたら、どれだけの人の命を助けることができるだろうと私は考えてしまいます😥。

 今はどんなに気を付けていても、誰でも感染する可能性があるような状況です。離れ小島や山奥の一軒家にこもっていなければ、誰にでも危険性があります。

 若い人は重症化しないと言われていましたが、そうではない状況になってきました。たとえ軽症で済んでも、後遺症に苦しんでいる若い人も大勢います。

 感染しないことが大切です。でもそれは大変困難なことです。他人事ではありません。自分や自分の家族が感染したときのことを真剣に考えなければならないところまで、状況は悪化していると私は感じています。

 地方自治体は、一人一人の国民に近いためか、首長たちから切迫したメッセージが流れています。ところが、国や政府の動きが遅いように見えてなりません。この一年半ずっとそのように私は感じています。

 今日の「報道特集」では、『自宅療養者と命の選別』

が放映されていました。自宅訪問されているドクターは、この状況を「自宅療養」という名の「放置」だとおっしゃっていました。

 危険な医療現場で、本当に献身的に働いておられる医療従事者の方々の姿には、頭が下がります。涙なしに見ることができません。

 

 「慣れ」は、人間に与えられた、命を守る適応能力です。しかし、ことコロナに関しては「慣れ」は危機管理能力の減退につながります。

 今最悪の状況だということをしっかり自覚して、「慣れ」てしまうことをなんとしても避けなければ、救える命も救えなくなるのではないかと私は思います。

 

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 それでは今回も、私の小説「刹那~襟子」の続きをお楽しみください。

 そろそろラストが近づいてきました。ブログ19回に続けてアップしてきました。さて、どんなラストになるでしょうか・・。

 

 「刹那~襟子」 第四章 濃厚接触

 バスは、慎重に、しかし急激に速度を落とし、バス停ではない路肩に急停車した。バスには緊急時の通報マニュアルがあり、運転手はそのボタンを押したと見えて、パトカーのサイレンはもうすぐ近くに聞こえる。

 間もなく警察官が数名バスに乗り込み、運転手が数名バスに乗り込み、運転手から簡単に事情を聞くと、床に寝転んだままの若者を起こして連行していった。

 若者はうなだれ、抵抗することもなく静かに従った。二人の会社員も別の警察官に促されて一度はパトカーに乗ったが、事情を聞かれてすぐに降ろされた。

 中年女性は、大事を取って、あとから来た救急車に乗せられ病院に向かった。

 襟子は思った。あの泣いていた若者にも、何か事情があったのだ。単なるマスクをするしないのこだわりではなく、こういう時節にマスクのことすら忘れさせるような、何かもっと大きなものが、彼の心を占めていたのではないだろうか。

 そしてそれは、きっとあの若者にとっては、人生を左右するかもしれない大きな存在だったのだ。そうでなければ、彼のあの涙の理由にならない。

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 襟子は切ない思いでいっぱいになった。コロナ禍で誰もが精神的に大なり小なりストレスを感じている。それゆえに、本当の親切心で動いたあの中年女性のような行為も、素直に受け取れないこともある。 

 また、自分さえ良ければというエゴイズムに支配され、普段ならもっと冷静に想像力を働かせて判断できるようなことを、突発的に考えもなくやってしまうこともあるのではないだろうか。

 例えば、感染者を責めてしまうようなことを。えてしてそういうとき、本人は良心や正義感でやっていると信じているので始末が悪い。

 この何ヵ月かのコロナ禍は、人々の生活レベルの差を浮き彫りにしてきた。富める者とそうでない者の差を、より大きくしてきたとも言える。

 襟子の会社を含め、多くの職場はコロナ禍のために大打撃を受け、倒産、失業は莫大な数に上った。その影響は、様々な形で人々の生活に影を落としている。

 また襟子は、被害者にも加害者にもなりうるという、この新型コロナウイルスの理不尽さに暗澹たる思いになるのだ。

 どんなに気を付けていても、いつ自分が感染するかも知れず、いやもう感染しているが無症状で、知らず知らずのうちに、感染を広げてしまっているかも知らない。

 ワクチンがまだ実用化されておらず、PCR検査がまだ一般人にとって『誰でもいつでも何回でも』受けられる状態ではない以上、ある意味自分自身に対してさえ疑心暗鬼のまま、日々の生活を営まねばならないのが実状なのだ。🌠(この原稿を書いたのは昨年の9月なので状況は、現在と異なります)

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 そのバスに乗車していた全員が事情聴取を受けたあと、もしもその内の誰かがコロナに感染していた場合、図らずも濃厚接触者となったかもしれない危惧のため、乗客の要望もあり全員がPCR検査を受けた。

 結果は後日知らされたが、襟子は陰性だった。他の乗客たちの結果は当然知らされず、咳をしていたあの若者も、陽性だったかどうかはわからないままである。

 たまたまその時間のその一台のバスに偶然乗り合わせただけである。いつどこで、どんなことに出くわすか、いったい何が起こるのか、誰にも予想することができない。

 襟子が、もしもタクシーを使っていたら、その次のバスに乗っていたら、こんな事件には遭わなかったのである。

 そのバスを一瞬で乗り損ねることだってあり得るし、運良く?一瞬早く乗り込んでしまうのとだってあり得るのだ。

 一瞬に翻弄される人間、そういういくつかの人生が、偶然ある一点で交差した時、抗うのことのできない弱々しい人間たち。交錯する刹那の集合体の中で、人はそれでも生き抜いていくことを情け容赦なく要求される。

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 心も体もくたくたになって、襟子はようやく家に帰りついた。とにかくシャワーを浴びて体と心を休めようと思った襟子は、バスタブにぬるめの湯を張って体を沈めようとした。

 その時だった!今まで感じたことのない胸の痛みが襟子を襲った。肺や心臓にも持病はなく、胸の痛みなど、この時まで感じたことがなかった。💥💥💥

 まるで胸を鋭利なナイフでえぐられたような強烈な痛みだ。襟子はそのまま湯船の中に落ち込むしかなかった。胸を押さえ、うずくまって痛みを逃そうとしたが。徒労に終わり、次に襲ってきた症状に、襟子は一瞬にして平静を失った。

(息が、息ができない・・)

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 今回はここまでにしたいと思います。もうすぐラストなのが淋しい感じです(笑)💧💧💧💧💧

 次はどんなことを書こうか、最近ローラー読みしている角田光代さんのエッセイを読んで、考えてみようと思います🙋。芹沢マリリンでした🎵

 

 

 

 

 

No.82実は私、小説も書いてます❗その17

 戦争が終わって76年経ちました。今は亡き母は10歳で、父は14日歳で終戦を迎えています。戦争を経験した両親は、贅沢なことは一つもせず、倹約と節約を重ね、慎ましやかな生活と生き方のまま、八十数年の一生を終えました。

 お金を使ったとするならば、私と妹の学費ぐらいです。そういう生き方は、戦争を経験した年代の人たちには多いのではないでしょうか。

 食べるものも充分になく、生きるか死ぬかという危険がすぐ近くにあった子ども時代を過ごした年代の方々には、多かれ少なかれあり得ることだと私は思います。

 父は、終戦の年に中学3年生で、卒業したら特攻隊に志願すべく準備を整えていたのだと、生前よく話してくれました。

 「特攻隊」・・特別攻撃隊です。どこが特別かというと、「お国のために命を捨てる覚悟で、片道のガソリンしか乗せていない零戦闘機で出発し、敵艦か空母に突撃して死ぬ使命だから」です。

 父は、戦争中の9年間の義務教育の成果で(もちろん皮肉で言っています!)、そういう考えを疑いもしないように育っていた少年の一人でした。

 ところが1945年8月15日に戦争は終わりました。父の誕生日は8月31日で、まだ15歳になっておらず、(幸運にも)特攻隊入隊の日を迎えることができませんでした。

 だから、私がここにいます。生きています。私の子どもたちも生きています。3人の孫たちも生きているのです。

 戦争をせずに日本は76年平和に過ごすことができました。しかし、これからどうかはわかりません。もしかしたら、戦争への道を知らぬ間に進み始めているかもしれません。

 両親も祖父母も言っていました。「戦争はいつの間にか始まってたんだよ。何か変だ・・と思っているうちに知らない間にね。」と。

 油断してはいけないと私は思います。今の社会や政治の流れが、絶対に戦争に繋がっていかないよう、目と耳を敏感にしておかなければならないと、私は自分に言い聞かせています。

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 話は変わりますが、私の読書は方法は特殊で、そのことは以前、ブログのNo.14~No.16「私の読書は作家ローラー読み❗」でもお話ししました。

 「気に入った一人の作家の作品を片っ端から読む」・・というやり方です。今までにこのやり方で読み尽くした(大袈裟ですが、詳しくは私のブログをご覧ください)作家群の一部を列挙してみます。

 読書遍歴を公にするということは、「自分の頭の中を白日のもとにさらす」・・ということにもなるので、まぁまぁかなり恥ずかしいことではありますが、それ以上に、こうして文章にすることが楽しいので書いてしまいます(笑)😄。

 この約30年間なら、・宮部みゆき貴志祐介宮本輝高樹のぶ子小池真理子渡辺淳一大崎善生白石一文篠田節子松本清張小松左京村上龍辻仁成原田マハ平野啓一郎など。

 小説以外なら、・黒川伊保子中野信子酒井順子吉田修一なども次から次と読みました。

 「作家ローラー読み」なので、私の家の本棚は、書店のように(言い過ぎ(笑))、作家ごとに並んでいます。ここまで整頓できたのは最近ですが、なかなかに楽しい作業でした😁。

 そこで、最近、新しい作家(有名な方なので、今さら・・と思われるでしょうが)が増えたんです❗今、作品を夢中で読んでいます。

 その人は角田光代さんです。今までにも、小説なら「対岸の彼女」「八日目の蝉」「紙の月」「坂の途中の家」「私の中の彼女」「だれかのいとしいひと」を読みました。

 しかし、今まではも一つピンと来なかったのです(大作家に失礼極まりない、すみません)。ところが、コロナ禍でいつ旅行に行けるかわからない(この旅行好きの私が)、この夏はお盆の帰省も諦めた、そういう時期に誰かの旅行記を読んでみたくなるのは、さもありなんと言うところ(笑)。

 そんな時、夫の書棚を漁って(夫は、旅行記だけでも本屋が開けるほどの蔵書があります(笑)💦)、偶然見つけたのが、彼女の『世界中で迷子になって』というエッセイだったのです!

 半分は、旅行記。あとの半分は、テーマを決めた彼女のエッセイです。この本が実に面白い❗私は自分より年下の作家の作品に夢中になることはあまりないのですが(何様?って感じ(笑))、本当に魅力的な文章なんです😆🎵🎵

 読み終わるのが惜しくなるくらい楽しい読書を、彼女に提供してもらっています🙋。ストーリーを辿る読み方だともっと3倍ほど早く読めるのですが、彼女の言葉と文章を味わいながらゆっくり読んでいます😃。

 一言では言えませんが、「小気味いい」のです!読後感も爽やか❗🍏、シンパシーも感じる❗🍈元気の出る本です❗🍍彼女が私の今年の夏に、爽やかな風を吹かせてくれたのは確かです🍹。

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 それでは今回も、私の小説「刹那~襟子」の続きをお楽しみください。いよいよクライマックスです😆🎵。

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    「刹那~襟子」 第四章 『濃厚接触

 彼の咳は一端収まったが、それから数分後、立て続けに出だした。肺の奥から絞り出すような、気管の壁にへばりついた異物をこそげ落とすような苦しげな咳は、彼が自らの手や服の袖で口を押さえても、執拗に収まる様子を見せなかった。

 冷や汗を流しているかのように(襟子からは見えないが)うろたえている彼の後ろで、他の乗客はそれ以上に冷静さを欠いていった。

 

 感染したら重症化のリスクが高い老人は、妻に見せる人形を取りに帰ったために、いつものバスより一つ後のバスに乗ってしまったことを後悔しながら、マスクの上からハンカチを当て、前の座席の後ろにうずくまった。

 若い母親は、幼い子どもを膝に抱き、自らの鞄で子どもの顔を覆った。子どもが苦しがってぐずる声がかすかに聞こえてくる。幼い子どもにとって、マスクさえ本当はイヤでたまらないはずだ。ぐずる声が泣き声に変わりかける。

 

 突然、若者の二つ後ろの席に座っていた中年の女性が立ち上がった。襟子は、バスの揺れに耐えつつ、右に揺れ、左に揺れながら若者の方に行こうとする女性に目が釘付けになる。

 他の乗客もその様子を凝視しているのが、後ろにいながら襟子からは、はっきり見えた。

 若者の近くまで来たその女性は、静かに彼に話しかけた。

「咳が苦しそうだね。マスクをあげるから、してくれる?」

どうやら、余分に持っていたマスクを若者に渡そうとしているようである。襟子は、固唾を飲んでその成り行きを注視する。

「私の娘が看護師でね。コロナ専門病院に勤めているから、家族を気遣って帰って来ずに病院に寝泊まりしているの。もう1ヶ月になるわ。できるだけ気をつけないとね。」

女性は、ゆっくりとそう話しかけながら、ビニールに入った真っ白なマスクを差し出した。

(あぁ、この人の娘さんも最前線で奮闘してくれている医療従事者なんだ。可哀想に1ヶ月も帰っていないなんて・・。)

 何度もテレビのニュースで見た修羅場のような病院の様子を思い、襟子は胸が痛んだ。その人の向かってさんに手を合わせて拝みたいくらいだった。

 ・・と同時に、そんな医療従事者に対する心ない差別があるというニュースも思い出した。こういう危機的な状況に置かれると、特に人間の浅ましい自己中心的言動が、醜いエゴが、残念ながら表出してしまうことがある。

 自分がもし患者になったら・・などという、幼稚園児でも可能な、常識レベル以下の想像力さえ欠如している人がいるのだ。なんて情けないことだろう。

 

 うつむいていた若者は、しばらく顔を上げなかったが、女性がなかなか去っていかないのにじれたのか、とうとう顔を上げた。

「おばさん、話しかけるなよ!黙っている分には大丈夫だろ!そうやって話しかけるのが迷惑なんだよ!」

乗客は、息を飲んで成り行きに耳を澄ます。運転手の肩がピクリと動いたのが、襟子にははっきりと見えた。

「だってあなた、咳き込んでるじゃないの!」

「うるせぇんだよ❗」

 あろうかとか若者は女性を突き飛ばし、動いているバスの中でバランスを失った女性は、何かにすがる間もなく空をつかんだまま、あっけなく転んでしまった。

 襟子は、自分でも信じられないような速さでその女性に駆け寄る。・・と同時に、中ほどに座ったいた会社員のうちの一人が、襟子の横をすり抜けて、その若者の方に走っていくのを見た。

「お前、何やってんだよ!」

会社員の男性が若者の襟首を掴む(襟子にはそう見えたが、実際には詰め寄っただけかもしれない)。その刹那、若者人が今度は会社員を無言で突き飛ばしたのだ。

 しかし、大柄な会社員は体のバランスを崩しはしたが転ぶことはなく、逆に若者を座席から引きずり出した。若者は会社員の手を振り払おうとしてむやみに手を振り回す。それはまるで、小学生が親に怒られて暴れる時のようだった。

 

 襟子は、中年女性の体を支えながら、この光景、何かで見たことがある・・と考えていた。外国のニュースだったか。場面も状況も異なるが、マスクをめぐるトラブルという点は同じだったような気がする。確か、最後は殴り合いのケンカになり、バス自体が危険な状態になったはずだ。

「うわぁー❗」

声にならない声がバス中に響き、あちこちで悲鳴があがった。 

「お客さん!やめてください!座ってください!」

運転手の声が空しく響き渡り、会社員によって引きずり出された若者が、バスの床でのたうち回っていた。

 その時、押さえる二人の男性の腕の隙間から、若者の顔が見えた。若者は、顔を歪めて嗚咽していた。苦しそうに悲しそうに泣いていたのだ。涙はバスの床にまでこぼれて、小さな模様を作っていた。

 襟子は、興奮した気持ちが一気に冷えて、冷静さを取り戻すのを感じていた。

 バスは、慎重に、しかし急激に速度を落とし、バス停ではない路肩に急停車した。バスには緊急時の通報マニュアルがあり、運転手はそのボタンを押したと見えて、パトカーのでサイレンはもうすぐ近くに聞こえる。

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 今回は、ここまでにさせてください。私の小説もラストに近づいてきました。執筆した期間は約2ヶ月、一気に打ち出したものですが、内容の中には10年以上前に一度打ち出した部分を改訂したところもあります。

 第四章は、コロナ禍が背景にあるので、2年前から書き出した部分です。そして、それまでの章と合わせてオムニバス風にまとめ、昨年の9月末日に、あるコンクールに出品したものです。

 この2年、様々なことがありました。私の個人的な生活は大きく変わりました。しかし、社会はずっとコロナ禍です。そして、新規感染者数は、今まさに過去最多の危機的状態です💦💦💦。

 ある有識者は、「災害レベルだ」と言っていました。誰が感染してもおかしくない状況の中で、私は怖くてたまりません。

 個人的にも、社会的にも、今なんとしても感染を回避したいのです(もちろん誰でもかかりたくないですよね💦)。

 旅行はもちろんのこと、帰省も諦めました。・・かと言って、いつまでも家にとじ込もっているわけにもいきません。お盆休みが終われば仕事もあります。

 福井県が100人を収容できる大規模コロナ療養センターを作ったそうです。やる気になればできるじゃないですか!スペースだけでなく、医療従事者の確保もできているそうですよ❗

 人口やスペースや医療従事者数など、地方自治体によって状況は様々でしょうが、「手の打ちようがない(厚労省の誰かの弁らしい)」などとギブアップしている暇があったら、場所の確保に走ってもらいたいと私は思います。

 東京の現状は、次のどこかの未来図(もちろん遠い未来ではなく明日かもしれない)でしょう。悪い例は同じ轍を踏まないように、よい例は参考にするだけでなく取り入れて、なんとか改善策を1日も早く実践してほしいと思います。

芹沢マリリンでした🎵

 

No.81実は私、小説も書いてます❗その16

 最近、家族が総合病院で検査をすることになり、改めて考えたことがあります。幸い、その病院は、医療逼迫しているわけではなかったようで、すぐに診察も検査もして貰えました。

 しかし私はその時思いました。もしも、救急車を呼ぶような状態で、かつ緊急に検査したり手術したりしなければならないような症状で、医療が逼迫していたなら・・想像しただけでも恐ろしいです💦💦。

 まず、救急車がすぐ来てくれるだろうか?コロナと関係なくても、すぐに受け入れてくれる病院が見つかるだろうか?手術をしなければならなくなった時、すぐにしてくれるだろうか?・・そんなことを本当に考えてしまいました💦💦。

 運良く受け入れてくれる病院が決まっても、まずコロナに感染していないかどうか調べるはずです。一刻を争うような場合、間に合うのだろうか?入院した場合、病院には失礼なことですが、院内感染しないかも心配です。

 今まで、心配したこともなかったようなことが、命の現場で問われるようになるかもしれません。ニュースや新聞でさんざん言われてきた「医療現場の逼迫」が、いかに恐ろしいものであるか、今回骨身に沁みました。

 そして、このコロナ禍の状況を、一刻も早く改善していくことが急務だと心から思いました。

 文明国日本にいながら、こんな一般的な状況においても、今までになかったような不安を抱え込むことになるとは、あまり想像していませんでした😥。

 歳を取れば体のあちこちに不調がくるのは当たり前です。若い人でも、交通事故や不慮の怪我を負うことはあるかもしれません。

 コロナ禍になってから、今まで以上に、「風邪を引かないようにしよう」「運転には充分気をつけて、事故に遭わないように注意しよう」とは、心がけてきました。

 今日のニュースでは、「自分はコロナにかからない」と思っている人がアンケートの半数以上だった言っていました。私は「誰がいつかかってもおかしくない状態」だと思っているので、「かかるかもしれない」に一票です。

 どんなに気を付けていても、100%かからない保証はないと思っています。だからこそ、日々ニュースで流れる新規感染者数の数字に『慣れてはいけない』と自分を戒めています。数字は今こそ危機的状態だと訴えているのですから・・。

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 それでは今回も、私の小説「刹那~襟子」の続きをお楽しみ頂ければ嬉しいです🙋。

 

  「刹那~襟子」 第四章 『濃厚接触』続き

 彼女には、もう一つ気がかりなことがあった。コロナ禍で子どもたちの安らぎの場であるはずの家庭も、今までにない困難に直面していたのである。

 保護者の仕事がうまくいかなかったり休業を余儀なくされていたりすると、どうしても家庭の空気がささくれてくる。

 そういう中では、悲しいかなDVや虐待が増えることがあるのだ。保護者に余裕がなくなってくるからである。そして犠牲になるのは多くの場合、母親や子どもたちだ。

 彼女は、どうしても連絡の取れない1人の児童が気になっていた。電話をすれば母親が出るのだが、本人に代わってほしいと頼んでも、何かと理由を避けるためですつけて代わろうとしない。

 本来、時節柄、家庭訪問は自粛するよう言われているのだが、彼女はどうにも我慢ができなかった。玄関の外に待たされ、家の中に入れてくれないことは予想できた。

 追い返されるならそれでもいい。もしも今日そうなったら通告しよう。児童相談所に虐待疑いで通告するのだ。

 既に管理職の許可は取ってある。躊躇している場合ではない。一刻を争う状況かもしれないのだ。彼女は、子どもの無事を祈ってこぶしを握りしめるのだった。

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 停留所でバスは停まり、若い学生や勤め人らしき人たちは降りて、代わりに一人の黒っぽいシャツを着た若い男性が乗り込んできた。

 彼はマスクをしていなかった。一瞬その姿を見て、残りの乗客の間に先ほどとは異なる緊張感が走ったのを襟子は感じた。

 その男性は、運転席のすぐ後ろの、一番前の席に座った。依然として沈黙状態のバスの中に、彼の咳が響いたのが5分後だった。襟子は、前に座っている全ての乗客の体が、ぴくんと動くのを見た。たぶん自分も。

 

 若者の名は菅野大輔二十七歳。有名飲食チェーン店の店長に、この春抜擢されたばかりだった。高校を卒業して調理師の専門学校で2年間学び、卒業後市内の飲食店に修行兼アルバイトとして勤めて3年。

 その真面目な働きぶりを見込まれて、正式に従業員として勤めていたが、自分の店を持ちたいという夢をいつか実現したいとチャンスをうかがっていた。

 駅前の再開発とともに、全国的に有名な飲食チェーン店がオープンして、従業員を募集しているのを知って一念発起。

 それまで働いていた飲食店の親方には残念がられたが夢を実現させたいという若者の思いに理解を示し、円満退職に同意した。そして、新入社員として再び一から研修を受けてスタートしたのである。

 それまでの経験の積み重ねがあるため彼は同年代の他の従業員のリーダーとなり、とうとう2年後の今年春、チェーン店ではあるが店長に抜擢されることになった。

 運もあっただろうが、それまでの彼が一つの目標に向かって精一杯努力して手に入れた幸運だったのだ。大会社ゆえに将来の見通しもついて、かねたから彼の苦労を何年も一緒に背負ってきた同棲中の彼女と、晴れて結婚も考えていた。

 ・・ところがである。春先からその片鱗を見せ始めていたコロナ禍が、緊急事態宣言発令とともに飲食業の世界に襲いかかったのだ。

 彼の店長就任は白紙に戻った。それだけでなく、彼の勤めていた店は休業に追い込まれたのだった。古くから地域に根差した他の店舗の存続のために、開業したばかりの彼の店は整理対象になり、一時(いつまでかわからない無期限の)閉店の憂き目に遭ってしまったのである。

 チェーン店ゆえに会社の決定は絶対だった。彼が次期店長として先頭に立って推し進めたコロナ対策の消毒作業も、ソーシャルディスタンスを取った店の改装も、テイクアウトの新メニューの開発も、全て会社からのメール一通で徒労に終わったのである。

 会社としても、多くの店舗を切り捨てるのは苦渋の決断であった。百年以上続く老舗の店が、次々と閉業に追い込まれていくのが、その時の実状だったのである。

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 彼には、今は白紙になった次期店長としての責任だけが残った。解雇される従業員の再就職先を探し、アルバイトやパート従業員には最後通告をする精神的にきつい仕事が与えられた。

 退職金をめぐる組合との交渉も、彼が矢面に立たされた。それでも彼は精一杯その務めを果たそうと、身を粉にして働いた。

 しかし、それらよりももっと彼の心身にダメージを与えたのは、結婚を約束した彼女との関係だった。彼女のお腹には間もなく3ヶ月になる赤ん坊が育っていた。

 彼女は彼に、静かにしかしはっきりとこう語った。

「こんなご時世だから、どうせ結婚式もできないし、今のまま籍を入れるだけでいい。赤ちゃんも、病院に行くこと自体が大変だから諦めてもいい。

 子どもができたら、自分が働けないからあなたを支えることもできないし、あなたの次の仕事が決まるまで我慢しましょう。」と。

 彼は彼女から妊娠を告げられた日の明くる日の早朝、解雇を宣告されたのである。

 喜びで飛び上がらんばかりに彼女と抱き合った日は、(彼女のお腹が目立たないうちにすぐにでも結婚式を挙げよう!そして、年が明けたら3人での新しい生活を始めるんだ!)

・・と、明るい将来のイメージしか浮かばなかった。たった数時間でその思いは深い谷底へと突き落とされたのである。

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 その日から残務処理の辛い日々が始まった。そして、瞬く間に彼女と最後の決断をする期限が来たのである。

 彼は、自分の気持ちがはっきりと決まらないまま、彼女のもとに向かっていた。彼はなんとかなると思った。彼女と二人がんばれば生きていけると思った。しかし、そのことに確かな根拠がないことは明らかだった。

 その苦労を理解している彼女は、重荷になりたくないと言う。自分も一緒にがんばりたいと言う。どうしたらいいんだ。後で後悔したくない。いや、後悔せずにいられるわけがない。だけど・・。

 堂々巡りのまま、糸口の見つからない(そのこと自体が彼は男として情けなくてたまらないのだが)ループに絡まれ、身動きができずにいたのである。

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 彼の咳は一端収まったが、それから数分後、立て続けに出だした。肺の奥から絞り出すような、気管の壁にへばりついた異物をこそげ落とすような苦しげな咳は、彼が自らの手や服の袖で口を押さえても、執拗に収まる様子を見せなかった。

 冷や汗を流しているかのように(襟子からは見えないが)うろたえている彼の後ろで、他の乗客はそれ以上に冷静さを欠いていった。

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 今回は、ここまでにさせていただきます。様々な人生が交錯し合うバスの中で、とうとう事件が起こってしまいます。

 私がこれを書いたのは一年半前ですが、コロナ禍の社会の様相は、ほとんど変わっていないのに驚き、困惑しています。寧ろ、新規感染者数は、過去最多を記録し続けています。

 私たちは、何を間違ったのでしょう。どこかに科学と相容れない思い違いをしていたはずです。間違った判断と実践を今こそ反省し、1日も早く改善していく行動を起こすべきでしょう。

 私の意見は今までずっと述べてきました。ブログの始めの言葉は、ほとんどがコロナ禍に関することです。何よりも大切なのは「命」なのだと、改めて言わなければならないほど、社会の情勢は曖昧模糊としたものになりつつあると私は思ってしまい、尋常ではいられません。

 

 さて、私の小説もクライマックスに向かっています。もう少しの間、お付き合い頂ければと思います。

芹沢マリリンでした🎵

 

 

No.80実は私、小説も書いてます❗その15

 世間では、今日のコロナ新規感染者数がまた過去最多を記録し、全国レベルの緊急事態宣言が論議されているらしいという大変な日に、目と耳を疑うような気持ちの悪いニュースが飛び込んできました😰。

 今日はブログの更新をする予定がなかったのですが、あまりに怒り心頭❗我慢ができず発信することにしました😤。

 名古屋市長の暴挙についてです💦。

 私は今まで、ブログ上で個人に対して非難するような記事を書いたことはありません。そう私は思っています。

 コロナ禍の社会において、政府の後手後手に回る政策に怒りを覚えて記事にしたことはありますが、あくまでもその政策に対して抗議の気持ちを表したのであって、菅首相の名前をことさら出したわけでもなく、個人の言動に対してコメントしたわけでもありません。

 しかし、市長を表敬訪問した金メダリストの若い女性のメダルを、人々の面前で、あろうことか、感染対策のマスクを外して「噛む」などという暴挙を、はたして許せるでしょうか⁉️

 私はニュースを見て呆然としてしまいました!確かに、メダリストの中にはそういう仕草をする人はいます。一生懸命努力してがんばってきたメダリスト本人だからこその仕草です。

 大変な努力と苦労の結晶のメダルを、他人が首にかけさせて貰うことだけでも、絶対必に遠慮すべきことなのに、それをメダリストの真似をして「噛む」なんて、そんなことがなぜできてしまうのか、私には全く理解できません❗

 ましてやコロナ禍!メダルも東北の農家の方々が育てて作ってくださった可愛らしい花束も、トレイからメダリストが自分で取り上げて首にかけたり、手に持ったりしているのです!

 他の人との接触を避けるためです。少しでも感染の危険を避けるためです。

 なのに、公衆の面前でマスクをとって口にするなんて❗どういう感覚ですか⁉️

 こんなデリカシーのない態度を取る人が、どういうふうに市政を担っているか、市民にどういう態度で接しているか、想像に難くありません。

 ネットには「もし私がそんなことをされたら、悲しくてその場で泣き崩れてしまう!」という意見もありました。同感です。そのメダリストの気持ちを考えると胸が苦しいです・・。

 市長は簡単な謝罪で済むと思っているようですが、そんなことで済ませていい問題だとは思えません。政治家として良識ある行動だったかどうかだけでなく、人としてしっかり反省し、心から謝罪すべき問題なのではないかと、私は思います。

 

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 それでは気分を入れ換えましょう。

 今回も私の小説「刹那~襟子」の続きをお楽しみいただけたらと思います🙋。

 

   「刹那~襟子」 第四章 『濃厚接種』続き

 大学生の長男は東京で独り暮らしをしている。感染者が莫大に多い東京からは当然のように帰って来られない。

 アルバイトもできない状態なので、食料品や身の回りの物を娘にリストアップして貰い宅配便で送ったが、孫の本当に好きな物を入れられたかどうか不安である。

 娘ならきっともっと上手く用意できるのにと思うと、彼女は悲しくなってしまう。

 長女は高校3年だ。「コロナ世代の受験生」と呼ばれているらしい。休校が続いて授業も進まず、オンライン授業も最初こそ物珍しそうにがんばっていたが、やはりどうしても反応にタイムラグがあることがもどかしいらしく、登校するときの方が嬉しそうだ。

 秋には志望校も決めねばならず、元来明るかった長女も、めっきり口数が少なくなった人生の大きな岐路に立っているのに、娘のようには有意義なアドバイスもできず、彼女は自分がもどかしい。

 今日は、祖母でなく母として娘に着替えや化粧品やおやつを差し入れするためにバスで病院に向かっている。

 

 彼女の二列前に座ったいる親子は、山下実南二十八歳とその娘佳菜五歳だった。佳菜には軽い発達障がいがあった。三歳児健診で、語彙数が平均よりかなり少ないのと、ADHD(注意欠陥・多動性障がい)の傾向もあることがわかった。

 コロナ禍でなければ理解ある保育士さんたちに囲まれ、佳菜は佳菜なりに保育園生活に馴染み、登園をいやがることもなく毎日を過ごせていただろう。

 しかし、コロナ禍になり、未知のウイルスが老いも若きも関係なく襲い続けるこのような状況の中で、実菜は怖くてたまらない。

 娘の佳菜は、今だに何でも口に入れる。誰のそばにも近寄って行く。他人との距離が極端に近い。

 マスクをするように言っても、もっと幼い幼児のようにいやがって言うことを聞かない。だから、どうしても保育園に預けることができなくなったのだ。

 このまま状況が変わらなければ、小学校にも行かせたくない。娘を失うかも知れないリスクが他の子どもより大きい以上、どうしても自分のそばから離すことができないのだ。

 これでは、実菜は働くこともできない。その上、夫は無関心で相談に乗ってくれない。みんな行っているんだから保育園に行かせろと言うばかりだ。

 実菜はの母親も、尋常ではない状態に驚き、娘の説得に当たった。保育園も充分に気をつけているだろうから行かせなさいと。

 そうしなければ、孫の生活だけでなく娘実菜の生活まで駄目になると諭すのだが、彼女は一歩を踏み出せずにいる。

 一日中娘と一緒にいて片時も離れず、家に引きこもって手の消毒ばかりに時間を費やす二人を見て、母親がとうとう精神科受診を勧めたのだった。

 実菜は、半年もそういう生活を続けて限界が来ていたこともあり、母親の提案に従うことにした。彼女にとっては大きな決断だった。

 このままではいけないと一番思っているのは彼女自身だった。今自分が変わらなければ、この苦しみの渦に幼い娘を引きずり込んでしまうだろうと、まだ正常な部分の精神が危機感を持ったのである。

 彼女は必死の思いで、ついて行くと言った母親をおいて、新しい生活に自分の力で踏み出した。それが今日だったのである。

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 何人かの学生の他に、まだ若い紺のスーツを着た女性が乗っていた。彼女は篠田利香子二十五歳。小学校の教師である。

 教師になって三年目、ようやく担任を持てるようになり、自分のクラスをどうやって造っていこうかと考え、ワクワクしていた矢先だった。

 コロナ禍のため、全国の小・中・高全面休校が始まったのである。四月になっても始業式はなく、児童のいない小学校は普通のビルより寂しい。

 ソーシャルディスタンスを取るため、一クラスを半分に分け机の間隔を広げた。利香子の学年は小学2年生でクラスの人数がもともと少なく構成されていたため、小さな低学年用の机と椅子の間隔を広げるだけで良かった。

 本当は、教室の後ろにフリースペースを作り、マットを敷いて、子どもたちが自由に遊べるコーナーにしたかったが、そのアイデアは使えなくなってしまった。

 絵本の読み聞かせをするために、子どもたちをコンパクトに集めることもきっと不可能だろう。それでもなんとか子どもたちの不安を和らげてやりたい。

 彼女は、教室の隅々まで消毒液を噴霧しながら拭き続けた。今のうちにと、時間を惜しんで教材研究もした。三角形と四角形の違いは何を使って教えよう。「スイミー」を習ったあとには、魚の形の色紙に子どもたち一人一人が思いを書いて、それを集めて大きなパネルを作ろう。

 ・・次から次へと発想だけが浮かんでくるが、あくまでも児童のリアクションのないまま(初めての担任だったので「以前の経験」というものがなく、予想することができない)、それでも彼女は、授業計画を作り、学習プリントを作成するなどのできる限りの準備に精一杯努力した。

 自分のやっていることがいいのかどうかもわからないまま、やれることはそれだけだった。

 やっと学校が再開され、子どもたちがマスクをつけて登校してきた。彼女は子どもたちに囲まれ、夢にまで見た担任としての仕事に全力投球するのだった。

🐟🐟🐟🐟🐟🐟🐟🐟

 しかし、マスク越しには子どもたちの表情が見えない。最初のうちは、笑っているのか泣いているのかさえすぐには判断できない有り様だった。

 そのうちになんとかクラス全員の名前とマスク越しの顔の判別ができるようになったが、一番心配な無表情の児童の心が読めない。

 子どもたちの送って来るサインを、瞬時にキャッチすることができないもどかしさは、彼女に予想以上のストレスを与えたのである

 その上、感染症対策として、子どもたちを密集させることもできない。グループでの作業やゲームや話し合いもできない。

 いたずらをした子どもたちを叱るとき、普通なら子どもたちの目線まで下がって、瞳を見つめながら至近距離で静かに諭すのだが、必要以上に距離を取ってしか話すことができない。

 「篠田先生、篠田先生!」と叫びながら飛びついてくる子どもたちを抱きしめることもできないのだ。自分を慕って近寄って来る子どもたちを引き離すことが、彼女にとってどんなに辛かったことか。

 低学年の児童のごく普通の親密さの表現を、担任として全身で受け止めることができない、それは彼女にとって本当に身を切られるような思いだった。

 しかし、そこで留まっているわけにはいかない。今でもできること、今だからできることを、新しく考え試していかなくてはならない。なぜなら、誰も経験していないからだ。

 彼女の試行錯誤が始まった。ベテランの教師でさえやったことのない、前例のない新しい教育活動が、今、求められているのだ。

 彼女には、もう一つ気がかりなことがあった。コロナ禍で子どもたちの安らぎの場であるはずの家庭も、今までにない困難に直面していたのである。

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 今回はここまでにさせていただきます。一年半前に執筆していた小説を、ブログの原稿におこしていると、その頃の社会情勢を思い出します。まだ1回目の緊急事態宣言が出たばかりの頃でした。

 そして今、全国ではありませんが、四回目の緊急事態宣言が発令されています。そんなことは予想だにしていませんでした。

 厳しい状況ですが、皆様お元気でいらしてください。次回の第四章「濃厚接触」の続きを楽しみにしていただけたら嬉しいです🙋。芹沢マリリンでした🎵

 

No.79実は私、小説も書いてます❗その14

 新型コロナワクチン2回目の副反応から復活しました❗今はバリバリ元気です‼️私は歳は若くないけど、気持ちが若いのか(笑)、エミューシステム(免疫力)が強いのか、予想外にまぁまぁな副反応が出ました💦。

 もちろん、今から思えば全然大したことはなく、しんどい思いをしたのは1日だけで、2日たった現在は完全復活しています😄。

 これで一応大丈夫❗(とりあえずは)と思うと、ほっとしました‼️ワクチンを打ちたいと思っている人には、1日も早くワクチンが行き渡りますよう祈るばかりです😊。

 ただし、ワクチンは万能ではありませんから、きちんとマスクをして、手指消毒もして、人混みには出かけないようにし、コロナ禍が始まってから、最も厳しい感染爆発のこの時期を乗り越えて行きたいと思っています。

 そこで、私の副反応の状況を赤裸々に語らせていただきます。それが、これから接種しようと思っておられる方々の少しでも参考になれば嬉しい限りです!

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 まず、私がワクチン1回目を4週間前に接種した時の様子ですが、はっきり言って日常の生活に全く不都合はありませんでした😌。

 少し気になった症状は以下の通りです。

・背中にジンマシンのようなものが数個できましたが、少々痒いぐらいで、何もせずとも2日後には消えました。

・当日に少しの頭痛あり。イブを2回飲んでその日の夜には気にならなくなりました。

食欲不振も全くなく、倦怠感もなく、普通に仕事をしました!・・以上です。

 

 そして4週間後のワクチン接種2回目、今回の様子に移ります。

 まず、接種当日。朝10時からの接種を30分で終え、モーニングに間に合う時間だったのでカフェへ。ホットコーヒー☕と卵サンドをしっかり食べ、ゆっくり過ごして、スーパーへ。

 山盛りの買い物をして帰宅。その間全く異状なし❗

 2時近くに遅めのランチの冷麺を美味しくいただき、普通に家事をして、ゆっくり読書📗。

 7時に買って来たお弁当🍱で夕御飯!(実は、副反応が出た時のために、家事をしなくていいように買っておいたんです(笑))

 入浴を普通にし、いつものように大好きなアメリカのサスペンスドラマの録画を観て12時に就寝。ここまでは全く異状なし❗まさか、あんなことになろうとは・・。

 夜中の2時、寝苦しくて起きる💦。エアコンを朝まで付けていて快適なはずが、暑くて起きたようです。なんとなくフラフラしながらトイレへ。

 また朝方4時過ぎ、身体が痛くて寝苦しくて起きる💦。階段をようやく降りてトイレへ。私は寝ているときにトイレへ行くことはめったにないので、「なんか変だな・・」と思い始める。

 またまた6時過ぎ、確実に熱っぽい❗なんとかトイレへ行ったが夜中に3回は変!頭痛もする。「すわっ、副反応⁉️😰」とは思いましたが、眠気には勝てず。熱を測らずまたベッドへ。朝になったら治っているだろう・・と楽観視😅。

 とうとう七時半。この日は仕事をお休みにしていたので、しんどかったらもっと寝ていてもよかったのですが、身体中が痛すぎて寝ていられない😭。

 ムリムリ階段を降り始めたのですが、自分の身体が文字通り「鉛」のように重くて重くてどうにもコントロールできません💦💦。

 鉛の比重と地球ので重力を存分に味わいながら、ほうほうの体で1階に降り、リビングに倒れ混みました!

熱を測ると38度4分❗私にとっては何年かぶりの発熱です。

 ここ2年ぐらいは、コロナ禍で、あっちこっちで熱を測る場面がありましたが、異状があったことは皆無なのでびっくり👀‼️

 それでもアイスコーヒーとベーグル🥯の朝食を完食し、おでこと目の上に熱さまシートを貼り付けて、クッションと座布団を並べて寝る体勢へ。

 いつも見ているニュース番組も目が疲れて見ていられないので音だけ。やかましい番組は頭が痛くなるので、CSのアニマルプラネットをつけたままうとうと・・。

 昼には治るだろうと鷹をくくっていましたが、熱は下がらず、ロキソニンを服用(もっと早く飲めばよかったのですが、朦朧として忘れてました(笑))😱。

 それでもお腹は空くので(笑)、家族に作って貰ったラーメンをお昼にいただき、再度横になりました。ロキソニンが効いたのか、また少し寝て、アイス(あずきバー)を食べてまた少し寝て・・。

 こうして私は、ワクチン接種の翌日でなければ、神様に怒られそうなグダグダ生活を続けたのでした(笑)。

 そして夜。「お好み焼きしか食べたくない!」の私のワガママを聞いてもらって、いつもより少なめのお好み焼きを作って貰いましたが、いつもの半分しか食べられず、私は自分の身体がかなりやられたな・・と実感することになりました😅。

 ・・が、心の底では(この1日で何キロ減ったかな?ダイエットになったぞ😜!)なんて考えていたのでした(笑)。この時点で、もう90%回復してる!(笑)

✨✨✨✨✨✨🌠✨✨🌠

 そして今日、私は完全復活を遂げたのです‼️ちなみに体重は1gも変化無しでした(大笑)😅

 誰もに共通しているとは言えませんが、少なくとも私の接種2回目の様子はこんな感じでした。できれば、2回目は次の日にお仕事はお休みを貰えるといいかなぁと思います。

 でも私は1日で元気になりましたから。食材は1、2回分を事前に用意しておくと安心です。調理が簡単な物かチンして食べられるものがベターです。発熱した時のためにミネラルウォーターとアイスもあればベスト❗   これから接種を受けられる方は参考の一つに加えて貰えたらと思います。

 今日は新規感染者が少しでも減っていてくれたらなぁ・・と、心から祈ります😄。

🐜🐢🐦🐘🐫🐒🐾🐾🐾🐾

 

 それでは、今回も、私の小説「刹那~襟子」の続きをお楽しみください🙋

  「刹那~襟子」 第四章 『濃厚接種』続き

 ところがある日、ご飯と味噌汁と卵焼きの朝食(夫が作ったもの)を前に、じっと黙ったまま微動だにしない妻を見て夫は悟った。とうとう「食べる」ということが理解できなくなったか・・と。

 夫は、命に関わるほど認知症が進行してしまった妻の様子を見て、一人での介護の限界を実感するに至った。食べることを理解できなくなった妻は、早晩、衣食住全ての場面で介護が必要になるだろう。その時、自分が元気だと誰が保証できるだろうか。

 自分の判断力が衰えないうちに、妻を安全な場所に移しておかなければ、正常ではなくなった自分が、妻の命を縮めてしまうかもしれない・・。

 もしも、二人とも心身に異状が出てしまったなら、二人の娘たちにどれ程の負担をかけてしまうことになるか想像に難くない。

 妻と離れて暮らす寂しさよりも、妻の安全と娘たちのことを考え、彼はやむを得ず妻をグループホームへ入所させることを決意したのだった。

 

 その間にも、コロナ禍はどんどん全国に広がり、院内感染や介護施設でのクラスター発生のニュースが何件も報道されるようになった。

 毎日決まった時間に面会して、妻の笑顔を見る機会が失われた。高齢者はリスクが大きいがために、介護施設での面会が全面的に禁止されたのである。

 1ヶ月後、一階の広い中庭を挟んで二階のベランダを臨む面会がようやく許されることになった。それから彼は、1日1回ほんの2、3分、車イスをヘルパーさんに押してもらってベランダに出る妻の顔を見るために、夫である自分の顔を見せるために施設に通っているのである。

 妻は1ヶ月夫の顔を見られなかった間に(いや、それは認知症の症状が進んだだけかもしれないが)、既に自分のことがわからなくなっているのではないかと夫は思った。

 以前のように、自分の姿を遠くに見つけて嬉しそうに手を振ることもなくなり、何処かあらぬ方を見て、目の焦点も合っていないように見えることが多くなった。

 妻にとっては、晩年に起こった不慮の事件の辛さも自分の存在と同様に忘れかけているなら、その方が幸せかもしれないと思ったりもする。

 妻が幸せなら自分も幸せだ。ただできれば、自分のことをほんの少しでも覚えていてほしいというのも、また彼の本心だった。 

 何かの刺激になればと、一旦玄関のドアに鍵をかけてバス停に向かったものの、「そうだ!あれを見せてみよう。」と急に思い立ち、家の中に引き返した。

 クルーズの行程の中で、香港に立ち寄った時に買ったチャイナドレスの人形を妻はとても気に入っていた。その真っ赤なドレスを着た人形をリビングに取りに戻ったために、いつものバスに間に合わず、このバスに乗ることになったのである。

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 二人の会社員の3つ前に座っていた中年女性は高木玲子六十八歳だった。夫は3年前に病死し、現在は娘夫婦と同居している。

 昨年までは近くのアパートで一人住まいをしていたのだが、娘が看護師でコロナ専門病院に勤めているため、忙しくなった夏前から家事のために同居することになった。

 5月に入って、娘は帰って来なくなった。病院の近くの職員寮のような所に寝るためだけに泊まり、ずっと病院に詰めているらしい。

 娘はICU勤務ではないが、コロナ患者の看護のために、病院全体が野戦病院のようになっているようだ。彼女は、テレビのニュースやかまし特集番組弟逼迫した医療現場を見る度に娘の姿が重なる。

 家に帰ってる来ない理由は、忙しいからだけではない。万が一にも家族への感染を避けるため、そして、自分が家に居ることで周りの人からかけられる風評被害から家族を守るためだ。

 医療関係に勤めているだけで、あらぬ言いがかりをかけられることも世間ではあるらしい。彼女は、そういう目に遭ってはいないと自分では思っているが、実際はどうかわからない。

 このコロナ禍の時代に、医療関係者がどれだけ身を粉にして患者さんのために働いているか、命の瀬戸際でどれだけ大変な思いをしているか、世間の人たちは知っているはずなのに、こと感染の可能性という視点に立つと、なぜ人は自己中心的になってしまうのか・・彼女は理解ができない。

 自分が医療従事者の家族だからかとも思うが、もっと人間としての根源の所で相容れないのである。

 一人住まいをしている娘も心配だが、1ヶ月も主婦の不在が続き、いつ終わるか見通しも立たない中では、どうしても家族の中に不協和音が生じてくる。

 娘の夫は優しい人で娘の仕事にも理解ある常識人だが、さすがに長く続くとイライラしてくるようだ。ましてや、いつまでという期限が決まっているわけではないために、気持ちの持っていきどころがないのだろう。

 食事や洗濯、掃除といった基本の家事は彼女がやっているので、日常に不自由することはないが、会社からの帰りは次第に遅くなり、夕御飯を外で食べて帰ることが増えた。

 営業自粛で遅い時刻まで、ほとんどのレストランなどは開いていないので、深夜に帰ることはないが、きっと寂しい思いをしているのであろうと、夜食を用意しながら、彼女は胸が痛くなる。

 大学生の長男は、東京で独り暮らしをしている。感染者が莫大に多い東京からは当然のように帰って来られない。

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 今回はここまでにさせていただきます。この小説を校了したのは、昨年の1月なので、1年以上たった現在では、少し状況が異なっているところもありますが、そこはご容赦ください。

 それにしても、改めて、ブログにするためにスマホに打ち出していると、あまりに状況が好転していないことに驚いてしまいます。

 1年前の大変なコロナ禍は、現在のコロナ禍とほぼ変わっていません。一昨年から昨年はじめまで、この小説を書いていた時は、(来年になったら昔話になってしまっているだろうなぁ。)・・と思って疑いませんでした。まさか1年たってもこんな状況なんて・・💦💦💦。

 どんなことでも、状況分析→総括反省→改善案を実施→好転(もしくは改善しなくてさらに状況分析を繰り返す)という道筋をたどるものです。つまり、社会は良くなる方へと努力を続けるはずなのです。

 きっとそうしながら、この1年も過ごしたはずなのに、なぜ今もこうなのでしょう。どこか間違っているはずです。

 少しずつでも好転していくように、その兆しが見られるように、私は今の自分に何ができるか、もっと考えてみようと思います。皆様お元気でいらしてください🙋。芹沢マリリンでした🎵

 

 

 

 

 

 

No.78実は私、小説も書いてます❗その13

 2回目のワクチン接種が完了しました。大規模接種会場での予約制接種でしたが、申し訳ないほどの手厚い対応で、さすが日本!・・と思った次第です😊。

 会場入りしてから、出てくるまでたった30分❗スムーズすぎるほどのスムーズさでした。しかし、だからこそ残念なのは、予約制とは言いながら、どう考えても接種希望者が少ないように感じることです💦。

 もちろん、ワクチン接種は任意で個人の自由ですから、接種すべきだと言っているわけではなくて、この人員をもっと必要な場所に配置できないかということです。

 3、4ヵ月前、医療現場が逼迫した際に、自衛隊の看護官の方々が様々な医療現場で活躍されていましたが、現在は、その大規模接種会場での対処に当たっておられるらしいです。

 ニュースでは、その大規模接種会場での接種を希望する人が予想より少なくて、人員もワクチンも、宝の持ち腐れ状態ではないかという報道もありました。

 おまけに現場の医師や看護師さんたちが大勢オリンピックに動員されていますから、今の感染状況が長引けば、早晩医療現場の逼迫は避けられないでしょう。

 計画的で臨機応変な、現状に即した対応を即刻調整するような機能が作れないものかと、素人の頭では考えてしまうのです😅。

 例えば、増え続けている自宅療養者を往診するファストドクターを増員して医師の負担を軽減するとかはどうでしょう。

 毎日、これまた急激に増え続ける新規感染者への対応に奔走する保健所の職員をヘルプして、事務処理だけを担当してもらって、現場の職員の方々の感染者対応の負担を軽減させるとか、素人の浅知恵でも浮かぶことはあります。

 ニュースで、ある保健所の職員の方が「今の状況では、2日に1回、自宅療養の方に生存確認の電話を入れるだけで精一杯だ」と辛そうに言っておられました。

 政府が保健所と人員を減らし続けてきた皺寄せが、昨年からずっとこのような形で表れてきているのです。この1年半の間に、少しは待遇改善をなされているのでしょうか・・。物理的にも精神的にも、形になった改善はあるのでしょうか・・。甚だ疑問です😓。

 前代未聞のここ数日の新規感染者数をどう捉えるか、そして具体的に早急にどう対処の行動を起こすか・・社外の動向を注視したいと思います。

 前回のブログで述べたリーダーの心のこもった発言を期待したいですが、難しそうです・・。

 

⚽️⚾️🏈🎾⛳️🏃🏄🏊

 それでは、今回も私の小説「刹那~襟子」の続きをお楽しみください😄。

 

  「刹那~襟子」 第四章 『濃厚接触』続き

 一日も早く彼らが日常を取り戻せるよう、襟子は祈ることしかできない自分がじれったかった。

 

 会社員の年輩の方は柴本孝夫、五十五歳になる営業職の部長。いわゆる「たたき上げ」である。ITに不馴れゆえにテレワークの準備には少々手間取ったが、今ではリモートワークも悠々とこなしている。

 つまり、過去の栄光に囚われて新しいものにアレルギーを起こすというような了見の狭い人間ではなかった。      ただ、「営業は取引先に何回足を運ぶかで決まる」と、相手側との信頼関係を築くことの大切さを、血肉に染み込ませてきた三十年間を全て覆すような昨今の情勢には、やはりやるせない思いをしていたのも事実である。

 それまでの価値観の大幅な変換が、数年後定年退職してからも働きたいと思っていた彼の意欲を、いやが上にも削いでしまうのを、彼は忌々しい思いで感じていた。

 

 通路を隔てて座った同じ会社の後輩の方は四十一歳の佐々木尚彦。先ほどの柴本の直属の部下ということになる。

 テレワークやリモートワークには若者と同様、全くと言っていいほど違和感はないが、定年退職までまだ二十年余り、今までの実績を貯金として、惰性で過ごせる(そんなつもりは毛頭ないが)年代ではないと思っている。

 コロナ禍で会社の方針もいろいろと変わったが、合わないからと言って早期退職するにはまだ早すぎる。まだ小学生の子どもを二人抱えて、これから自分はどのように生きていったらいいのか、こんなに早く考える機会が訪れようとは思ってもみなかったのである。

 意識しようがすまいが、時代の変化の波に乗り遅れぬよう、呑み込まれぬよう、自らの働き方生き方を考えなくてはならない岐路に立っている実感が彼にはあった。

 

 襟子の一番近くに座っていた高齢の男性は、上野正義八十二歳である。彼は七十九歳の妻、美佐恵とともに、あの豪華客船クイーンサファイア号の乗客だった。

 まだ新型コロナウイルス感染がごく一部の人に限られていた頃、日本国内での感染者がまだ一桁だったあの頃、乗客のほぼ半数が感染し、死者まで出たこの船での事件は、今まで経験したことがないという恐怖からかセンセーショナルに報道された。

 誰もが憧れる長期クルーズのラストがこんな悲劇に見舞われようとは、誰が予想できただろう。長期間の船内隔離、その後の消毒作業とホテル隔離。

 それらのニュースは、日本全国のみならず世界中に報道された。PCR検査で陰性と判明した乗客がホテルからやっと帰路についた時、感染の不安のある中で、ずっと乗客の世話をしていたホテルの従業員が、バスの外に並んで見送った。手を振るホテル従業員の方々の姿には、胸の詰まる思いをした人も多くいたことだろう。

 そうやって帰ってきた乗客のうちの二人が上野夫妻だった。二人は高齢ゆえに、催されるパーティーやレクリエーションに出席せず、食事や散歩以外には自分たちの部屋からほとんど出歩かずにいたからか、二人とも検査結果は幸運にも陰性だったのだ。

 二人にとって、この豪華客船での船旅は人生最後の思い出作りだった。普通の会社員と専業主婦のごく普通の夫婦にとって、船旅は夢だった。

 その夢の実現のために、普段の生活を切り詰め贅沢をせず、何年も前からその日のために苦労を厭わず生活していたのだ。

 ところが、陰性という判定が降りたにも関わらず、しばらくは見送ってくれた家族にも会うことができなかった。お土産も渡すことができなかった。

 会ってくれなかったわけでも、受け取ってくれなかったわけでもない。得体の知れないウイルスゆえに夫婦が遠慮したのだ。もしもの感染を避けようとして・・。

 ところが実際はもっと大変だった。近所の人からも避けられた。スーパーに買い物に行っても、陰でこそこそ噂されているように感じた。

 趣味の碁会所にも行かなくなった。回覧板も回って来なくなった。とうとう道を行く人の話し声も気になるようになり、庭の花の世話もできなくなった。手入れの行き届いていた庭の花々は、夏を待たずに枯れた。

🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍃🍂

 

 そのうちに時をおかずして引きこもりがちだった妻が認知症を発症してしまう。夫のことはかろうじてわかるが、日常生活に支障が出だした。

 まず食事の支度ができなくなり、歯磨き、入浴、着替えも夫の介助なしには不可能になった。娘が二人いるが、二人とも離れた県に生活の拠点があり仕事もしていて、それぞれの家族をおいて介護を頼むわけにはいかなかった。

 もとより、娘たちに負担をかけるつもりはなかったし、夫は自分が健康ならまだなんとかなると思っていた。

 ところがある日、ご飯と味噌汁と卵焼きの朝食(夫が作ったもの)を前に、じっと黙ったまま微動だにしない妻を見て夫は悟った。とうとう「食べる」ということが理解できなくなったか・・と。

🌿🌿🌿🌿🌿🌿🌸🌿🌸🌿🍃🍂

 

 今回は、ここまでにさせていただきます。切ない終わり方ですが、次回の続きの展開を楽しみにしていてくだされば幸いです。

 コロナ禍は今までにないひどい状況を呈しています。どうかご自愛ください。芹沢マリリンでした🎵

 

 

 

 

No.77実は私、小説も書いてます❗その12

 2日続けて全国の新規感染者数が1万人を越えています!私の予想以上の増加です。まるで外国のニュースを見ているようだと危機感を覚えました。

 知人の中には、「重症者数や死者数は減っているのだから、寧ろ状況は良くなってるんじゃないの?」とか、「高齢者の感染が減って、ワクチンので効果が大きく出てるんだから、政府の施策が功を奏しているんじゃないの?」とか 

「マスコミがいたずらに危機感を煽って、せっかくのオリンピックに水を差しているとしか思えない!」

という人もいます。

💦💦💦💦💦

 しかし、私の考えは違います。コロナの軽症者は、状況が悪くなれば中等症になります。中等症の人は、いつ重症化するかわかりません。

 重症者のエクモを使った治療の様子をテレビのニュースで見たことが一度もないという人は少ないはずです。あの大変さは、本当に命の現場だということを考えさせられます。

 治療の効果が出て命の危機を脱しても、普通の状態に戻るには大変なリハビリが必要だと繰り返される報道から知りました。

 また、日常の生活に戻っても、後遺症が残ったり、メンタルに支障が出たり、家族を含め生活が大きく変わってしまったり・・決してコロナはインフルエンザと同様に考えられるものではないと、私は思っています。

 誰もが感染の可能性があり、感染したら重症化する場合のあるこの疾患に関して、私は絶対に安易に考えてはならないと思うのです。

 私は明日ワクチンのことを2回目を接種しに行きます。帰省のためにPCR検査も申し込みました。私の故郷では、この夏に帰省する人対象に、無料のPCR検査をネットで申し込むことができるのを家族に教えてもらったからです。

 ただ、道中公共交通機関などで感染しないとも限りません。個人的な理由で今はあらゆるリスクを避けたいので、PCR検査が陰性でも、帰省するかどうか迷っています。

🚌🚃🚃🚃🚃🚅🚙🚕✈️🚄

 この夏を健康に乗りきるために、さまざまなことを我慢しています。そういう人は多いはずです。でもそういうことを考えなければならない状況に今来てしまっていると、残念ながら私は思います。

 その原因は、今までのブログにずっと書いてきました。この2年間、コロナ禍(コロナの原因ではありません。なぜコロナを乗り越えることができないのか、コロナ禍の原因です。)の原因についてずっと考えてきました。そして、発信してきました。

 この国は何を大切にする国なのか、どこで間違ってしまったのか・・次第に明らかになって来てはいますが、今もなお考え続けています。

 「政策としてこの点が間違っていました。こうするべきでした。だから今後はその反省の上に立って誤りを正し、こう変えていきます。なぜなら、最も大切なのは、⭕⭕だからです!」・・という、リーダーの、「私」にも理解しやすい、血の通った言葉を待ち望んでいるのです・・。

 

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 今回も、私の小説「刹那~襟子」で非日常を束の間お楽しみください🙋。

  「刹那~襟子」 第三章 叙情的恋愛 続き

 いつの間にか彼が起きて、繭子に背を向けて身支度をしている。繭子は、ネクタイを背中の方に回し、襟を立てて締める彼の仕草が好きだ。帰るまで、二人はほとんど言葉を交わさない。が、この日は違った。

「限界だな・・。」

「そうね・・。」

「何処かへ行こうか・・。」

「わかった・・。」

その余りにも意味の深い、短い言葉のやり取りが、彼らのその後を決めた。機は熟していたのだ。それ以上の言葉はいらなかった。

 

 繭子の踏みしめる床や地面はふわふわだ。頼りなく湾曲し、めり込み跳ね上げ、自在にその形を変えようとする。立っているだけに繭子は渾身の力を振り絞る。

 しかし、とうとうその揺れに身体を任せようと思うようになった。地面が沈んだら自分も沈む。地面が浮き上がったら自分もゆっくり浮き上がろう。

 なだめてすかして、精神の安定を得ようとするのに、頭ではわかっていても身体が言うことを聞かないのだ。繭子の身体は、一人の一人以外に癒されることを拒否してしまう。今ではその思いを、かたくなに発露する・・。

 二人には今の生活の基盤と、どうやって折り合いを付ければいいのか蛾わからなかった。そして、何処へいくのか、どうやってこれから生きていくのかも定かではなかった。

 ただ、この部屋から出て右と左に別れ、まるで何事もなかったかのように、それぞれの家族が待つ家に帰るのは無理だったのだ。もう片時も離れていることは不可能だった。二つの顔を使い分けて生きていくことには、既に限界が来ていたのだ。

 それでも繭子は、これだけはわかっていた。二人がこれから何処かへ行くとしても、長くは続かないことを。離れていた今までよりも、一緒にいるこれからの方が、別れの日が近いことを。自分たちは、別れるために一緒にいようとしているのだということを・・。

 

 このまま二人は何処まで行けるだろう。どちらかが死ぬまで?決して全く同じ量ではあり得ない互いの気持ちの、どちらかが離れるまで?それともほんのわずかの日々?

 その答えは繭子自身にもわからない。ただ、自分たちは終わりに向かって走り出したのだということに、おそらく彼も気づいているであろうことを感じていた。

 繭子は思った。自分たちの、今では決して許されることのない「罪」になってしまったこの行為を、遠い遠い未来に、過去の思い出の一つとして甦らせるようになるのだろうか。それは、甘美な記憶として・・?それとも、鈍い痛みとして・・?

 二人は揃って部屋を出ると、破滅に向かって互いの車を起動させた。バックミラーで愛しい人の静かに凪いだ表情を確認した繭子は、決然と車を発車させるのだった。

🌃🌃🌃🌉🌉🌉🌉

 

  第四章 「濃厚接触

 その日襟子は、普段滅多に乗らない市内循環バスの中にいた。襟子は、気が重い。襟子ぐらいのベテランになると、契約した事業所回りなどの営業の仕事が回って来ることは今までにもあり、それなりの年齢で落ち着いた襟子は、急な事業所訪問もそつなくこなしていた。

 しかし、今日の業務命令は、コロナ禍により、業績に支障が出ることを見越して事業所からの発注を減らすという、契約違反にも抵触しそうな内容を伝えに行く、文字通り平身低頭が要求される気の重い内容だった。

 襟子の職場では、社用に自家用車の使用を禁止されており、おまけにタクシー券も削られたためバスを利用するしか方法はなかったのである。

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 襟子が乗ったバスだけでなく、ほとんどの交通機関は三密を避けてソーシャルディスタンスを取っており、通勤通学時間帯でもないため、乗客は十名ほどしかいなかった。

 それでも道路は混雑しており、目的地まで1時間以上かかると予想して、襟子は最後尾の席に座った。普段なら、学生の集団しか座らない場所である。

 他の客と距離を取りたかったのと、滅入った気分を少しでも和らげようと、見晴らしの良い席を無意識に選んだのかも知れない。

(なぜ、よりによってこんな時に・・。)

1時間後に、襟子がこんなことを思うようになろうとは、その時は襟子自身も、他の乗客も、誰一人として脳裏に浮かべた人はいなかったはずである。

 

 乗客はコロナ時の常識通り、できる限りの間隔を取って座っていた。やむを得ない理由で外出しているのだろうか八十歳は過ぎていると思われる高齢者が1人、襟子の近くに座っていた。

 二列おいて前に、五歳ぐらいの幼児と若い母親、真ん中あたりに会社員らしい四十がらみの男性が二人、通路を挟んで隣り合っていた。同じ会社の同僚だろうか。

 その前に六十代後半ぐらいのきちんとした身なりの中年女性、あと数名の若い男女がパラパラと、その後頭部だけを見せていた。

 襟子からははっきりとは見えなかったが、全員当然マスクをしている様子で話し声も聞こえず、奇妙な静寂が車内に一種の緊張状態を醸し出していた。

 

 間に通路を隔てて座っていた会社員の話し声がかすかに聞こえてきた。どうやら、話題はコロナ禍のため最近急激に増えたテレワークのことのようだ。

「本当にこれでいいのかって思うときがあるよ。」

「仕方がないんじゃないですか、無理に部下を出勤させるわけにはいかないでしょう。」

「もちろん、テレワークでも仕事はできるさ。テレワークの方がいい仕事ができる時もある。それは認める。何より安全だからな。しかし・・。」

「まぁ、職種にもよりますが、この機会に社屋を廃棄して全部テレワークにして、莫大な経費節減で利益を上げた会社もあるらしいですよ。このコロナ不況の時に。」

「それでいいのかなぁ。俺はリモートじゃ煮詰まった論議ができないような気がするんだ。隔靴掻痒って感じかな。フェイスシールドを二重に付けてでも、同じ空間で相手の存在を物理的に感じながら話をしなくちゃ、本当のいい考えなんか浮かびようなないよ。そんな考えは若い奴らには、古いって一蹴されるだろうがね・・。」

「難しい時代ですね。僕ぐらいの齢でも適応するのに必死ですよ。」

 弱々しい笑い声でその会話は終わったが、襟子は彼らより年上ゆえに、言いたいことはよく理解できた。コロナの渦中では、新しい生活様式に慣れていかなければ命さえ脅かされるのだ。

 あらゆる面で、今までの固定観念を払拭し、発想の転換が求められる。若い柔軟な頭と違って、経験や知識が多い古い頭は適応しにくい場合が多いのだろう。

 もはや、マスクをせずに公共交通機関に乗るなんて考えられないところまで、社会は変容しているのだ。寧ろ、マスクをしない社会は2度と戻っては来ないのではないかとさえ思ってしまう。

 けれども、襟子は彼らの言うことにも一理あると思った。テレワーク、リモートワークの是非はもう言うべき時期を過ぎているが、面と向かって同じ空気に漂う緊迫感を感じながら、時には興奮して机を叩いた振動も感じながら議論する、その充実感はやはりかけがえのない大切なものなのではないだろうか。

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  バスには若い男女も乗っていた。彼らは大学生かもしれない。近くに有名な国立の美大があるのだ。可哀想に、彼らは大学にもう半年も通学できていない。ずっとオンライン授業のはずである。

 美大生なら、大学で実際に絵を描いたり、塑像を制作したり、デッサンをしたり、実技をしっかりやりたいはずである。

 他の学部生もそうだが、リモートだけでやれることは限られているのではないだろうか。自分の大学時代のことを思い出しても、サークル活動や学祭や学費値上げ反対の集会、何気ない日常の一コマにも仲間がいた。

 仲間と笑う、仲間と話す、仲間とケンカする、それら全てが大学生活の中で、どんなに貴重で煌めく時間であるか、早く彼らにも味わってもらいたい。一日も早く彼らが日常を取り戻せるよう、襟子は祈ることしかできない自分がじれったかった。

 

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 今回は、ここまでにさせてください。一台のバスの中で、まだ多くの人々の人生が交錯して行きます。続きを楽しみにしていただければ嬉しいです😆🎵🎵。

 毎日猛烈な暑さです☀️。コロナにも熱中症にもお気をつけください❗ 芹沢マリリンでした🎵