No.17『夢』って不思議⁉️

 今回のテーマは「夢✨」です。将来の夢ではありません。寝ている時に見る、あのいわゆる「夢✨」のことです。

 今なぜ「夢✨」なのか?…と問われても、はっきりした答えはまとまりませんが、ブログを書く上で、是非一度、建設的に考えてみたいテーマではありました。

 もちろん、科学的に「夢✨」について論じたものではなく、あくまでも「夢✨」について心に浮かんだことを気の向くまま書いたエッセイとして読んでください🙋。

なんとなく『徒然草』の冒頭に似ています(兼好法師に怒られる!)

 例のごとく、骨子を先に提示したいと思います。

 

1,なぜ人は「夢✨」を見るのか❓

2,過去に見た不思議な「夢✨」(一部小説風に)

3,「夢✨」の不思議❗

 

1,なぜ人は「夢✨」を見るのか❓

【現実の問題点を整理し、処理する】

 ネットでこのテーマを検索すると、次のような記事がたくさん出てきます。

「普段の生活で起きたできごとや、脳に蓄積したあらゆる情報を整理するために『夢✨』を見る。脳内にたまった過去の記憶や直近の記憶が結びつき、それらが睡眠時に処理されストーリーとなって映像化したもの」

 この記事で印象的なのは、「整理」「処理」というワードです。そういえば昔、「睡眠学習法」というのがマスコミで騒がれたことがありましたね。

 まだ学生だった私は、「そんな楽なことができるなら、誰も受験で困らない!」と見向きもしませんでした。記憶の効能に異論を唱えた訳ではなく、知識のインプット無しにできるはずがないと思ったからです。

 ただ、「テスト前の徹夜はNG!」というのは信じていました。「脳は睡眠中に、記憶したことを知識として整理し処理している」ということは真実だと思っていました。

 だから、無理してでも最低2時間は寝る😌🌃💤ようにしていました。それが知識の定着に有効だと思っていたからです。

 教師になってからの自分の行動の中に、無意識に上記のことを実践していることがありました。次に列挙します。

 

●「夢✨」の中で授業を一通りやってしまう❗→何度もありました。

●次の日、職員会議で発言する内容や職員研修で発表する内容を考えながら寝ると、「夢✨」のは中でリハーサルしてしまう❗→何度かありました。重要な案件ほど、寝る前も考えているので、「夢✨」に出てきました(笑)。

●寝る前に次の日やることを整理しながらシミュレーションすると、「夢✨」の中で先にやってしまい、現実がリハーサル済みになることがある❗→今でもよくあります。

 

 このように思い返してみると、「夢✨」の一つめの効能は、私の場合は実際にあるようです。ただ、「夢✨」の中でも仕事をしているわけで、日々の疲れが取れないんじゃないかとも思いますよね!

 しかし、「夢✨」でシミュレーションしたおかげで現実が上手くいったとすると、疲れも半減、いや場合によっては、疲れが雲散霧消の時もあるわけです😄。

 

【「夢✨」で非日常、非現実の世界を味わえる】

 「夢✨」は、ただで見られる映画のようなものとも言えます。社会にはエンターテイメントが必要なように、「夢✨」を功利的に捉えるだけでなく、単純に非日常を楽しむ(逆の場合もありますが)アイテムとして捉えることもできると思います。

 「夢✨」の中では現在だけでなく、過去へも未来へもワープすることが可能です。鳥🦅になることも、魚🐠になることもできます。つまり変身可能です❗

 また、どんなキャストも登場させることが可能です。有名人(嵐でも)や、会うのが普通ではまず無理な人(バイデン大統領とか)、既に亡くなっている人など、絶対に会えない人もキャスティングできます❗

 更に、現実には絶対できないであろうことをやってのけることもできます。歌手になったり、女優になったり、若返ることだって可能です❗

 ただし、プロデューサーや監督にはなれません。「夢✨」の映画を、シナリオを考えキャストを指定して、造っていくことはできないのです。そこが「夢✨」のリミットとも言えます(笑)😆。

 

2,過去に見た不思議な「夢✨」

◆続きを自分で作った「夢✨」

 1,のラストで、「夢✨」は自分でコントロールすることができないのがリミットだと述べましたが、実は私、ずっと昔小学生の頃にはその能力がありました❗一から作り出す訳ではありませんが、楽しい「夢✨」が中断した時、続きを見る方法を知っていたのです❗

 それは、何かで中断した「夢✨」の続きを自分で想像して作っていくという方法です。始めは、「あーして、こーして」と意識して続きを想像するんですが、そのうちにまた睡魔が襲ってきて、「夢✨」と現実の境目が曖昧になっていきます。

そして、気づいた時には、また自由に「夢✨」の中で、何か別のものに操られながら動いている自分がいるのです。

 ただ、起きるまで長時間になるので、「今日は日曜日だから大丈夫…」などと、意外にも冷静に判断していたきらいがあります(笑)。

 途中で大きな物音で目覚めたので、はっきり覚醒しないまま、レム睡眠を続けたので、「夢✨」を見続けることができたのでしょう。

 

 それでは、たぶん小学4年生ぐらいの時に見た、大スペクタクル冒険活劇を紹介したいと思います。この「夢✨」から覚めた時の爽やかな疲れを、まだかすかに覚えています。

 小学生の頃に見た内容を、今の自分の語彙で小説風にしてみました。

 

【追っ手の足音が迫ってきた。複数の男たちの足音だ。いつの間にか数が増えている。この白壁の迷路のような街で、どこまで逃げていられるだろう。

 足下は石畳。民家の窓は小さくて鉄格子が掛けてある。牢屋のように殺風景な鉄格子ではなく、ところどころにステンドグラスのはめ込まれた装飾を凝らした意匠だ。

 ここは、いつか本で見た地中海の小さな島に似ている。壁は、どこもかしこも真っ白だ。石畳の道にも鮮やかな蒼い色のタイルがちりばめてある。ラピスラズリだろうか。

 しかし、それに反射する太陽の光は、本の中の小さな島のような明るい澄んだ太陽光ではなく、どこか埃っぽい空気をかろうじて突き抜けてきた弱々しく霞んだ光だ。

 なんとか追っ手を逃れてここまで来たが、見つかるのも時間の問題かもしれない。なんとかこの民家のどれかに紛れ込めないだろうか。しかし、ドアを叩いたり声をかけたりすると大勢の追っ手にたちまち気づかれてしまうだろう。

 うずくまっていた物陰から這い出した私は、開いているドアがないか片っ端から押して回る。分厚い木のドアは、思ったより重量があり、残念なことにどれも内側から鍵がかけられているようでびくともしない。

  焦って次第に荒々しくなっていく気持ちと手の動きを必死で抑えながら、私はドアを押し続けるしかなかった。

 今に追っ手の足音のどれかが聞こえてくるに違いない。髪を振り乱し、手の平や指に重い木のドアのささくれが傷をつけるのも厭わずに、次のドアを押した途端、それはおもむろに内側に動いたのだった。

 後先考えず、その暗闇の中に体を滑り込ませるやいなや、ドアの外を複数の足音が通りすぎ、遠ざかって行ったのだった。助かった…。

 息を整え、足音が完全に消えたのを確認して、私はゆっくりと振り返り、暗い家の中に目を凝らした。真っ暗にしか見えなかった部屋の有り様が、次第に目が暗闇に慣れてくるにしたがって少しずつ形を成し始めた。

 そして私は見た。部屋の片隅から自分を見つめる大きな二つの瞳。一人の子どもが身じろぎもせず、その澄んだ眼で私をじっと見つめていたのだった。】

 

…ここまでが、見た「夢✨」のだいたい半分です。長年の間に随分脚色されていますが(笑)😃。これは、途中では切れないでしょう(大笑)😆。

 

◆空を飛ぶ「夢✨」はしんどかった…

 私の空を飛ぶ「夢✨」は、本当に疲れるものでした💦。なぜなら、鳶や鷹のように風を切って滑空するわけではなく、鴨や白鳥🦢のように羽ばたくわけでもなく、かといって雀🐦や文鳥のようにこまごまと方向転換しながら飛ぶわけでもない、敢えて言うなら、空中を一生懸命平泳ぎするって感じでしょうか(笑)。

 小・中学生の時、友達にそれを話して大笑いされました。「空を飛ぶ『夢✨』を見る意味ないじゃん!」とまで言われる始末(そんなこと言われましても)。

 どうやら、私の友達はみんな、スーッと、若しくはフワーッと飛んでいるらしいのです(めっちゃ羨ましい!)。

 面白いのが、自分の空を飛ぶ「夢✨」の状態がそんな風であることを、「夢✨」の中の自分が知っていて、体が飛びそうになると、「あ~あ」と思ってしまうのです(笑)。疲れることがわかっているからです。私の空を飛ぶ「夢✨」を実況中継するとこうなります。

 

【あっ!足の先が地上を離れた。バレリーナは、きっと羨ましがるだろう。空へ飛び上がることを憧れすぎて、トゥシューズが生まれたのだから…。

 私はまるでスタートしたばかりの平泳ぎのような格好で、斜め45度を意識しながら上昇していく。まだ体力は余裕だ。

 家の屋根の上3mぐらいまで上がった。屋根に登った猫があくびしながら上空の私を一瞥し、あり得ないぐらい体を伸ばして2、3度首を振り、退屈したように屋根から降りていく。

 その通り道が、私の視線からきれいに辿れるのが少し嬉しい。あぁ、そこを通るから、私の大事なフィロデンドロンの葉っぱが傷んでたのね!

 私はどんどん上昇していく。私の住んでいる街はもう地図のようだ。俯瞰で見ると、そこそこ大きな街なのに気付いて驚く。

 新しく2年後に完成するらしい高速道路の橋脚が雨後の筍のように何本も屹立しているがまだ未完成だ。橋脚をつなぐ道路が、まだ途中で潔くぶったぎられているのが面白い。巨大なスキーのジャンプ台のようだ。

 だんだん体が疲れてきた。高度がどんどん落ちていく。必死で手で空(くう)を掻いて上昇しようとするが、落ちる速さには勝てない。持ち上がった体の2倍の速さで2倍の距離を落ちていく。

 まだ飛んでいたいのに、地面はもう目の前だ。片足が地球に触れた。「まだっ!」私は叫んでその足で蹴り返す。反動で体が少し上がる。また落ちる。また蹴る。「はぁ~疲れた…」

 体力の限界を感じた私は、せめてカッコ良く着地しようと力を振り絞る。スローモーションのように、両足が音もなく地面を掴んだ。ゼロ・グラビティからの帰還だ。微かな砂埃を残して、確かすぎる一歩を私は踏み出していく。】

(こんな感じだといくらでも書けそう…(笑))

 

 続いて、

◆疲れた時に見る「夢✨」

◆恐ろしかった「夢✨」

3,「夢✨」の不思議

 

と述べていきたかったのですが、調子に乗って小説風に書きなぐっていたら、ページが尽きてしまいました!続きは次回に回します🙋。

次の第18回目は、「『夢✨』って不思議⁉️その2」

  第19回目は、 

    「『山口百恵 伝説から神話へ』そして…」

を予定しています。1ヶ月ぶりに小説風なことを書いていたら止まりませんでした(笑)。エッセイを書くのも楽しいけれど、やっぱり小説をして書くのも面白い(笑)❗芹沢マリリンでした🎵