No.18『夢』って不思議⁉️その2
ブログを始めて、毎日時間を見つけてはパソコンに向かっています。前回までで調べてみると一回のブログにつき約6000字、400字詰め原稿用紙だと約15枚書いていることになります🙋。
前回が第17回ですから、合計102000字。原稿用紙255枚書いたことになります。自分でもびっくり❗私が出版した2冊の本📗のどちらよりもたくさん書いていることになります❗ブログって凄いですねぇ‼️
さて、前回も調子に乗りすぎて予定まで行けなかったので、今回も同じテーマの続きということになります。骨子は以下の通りです。
1,なぜ人は「夢✨」を見るのか❓→前回で済み
2,過去に見た不思議な「夢✨」(一部は小説風に)
◆続きを自分で作った「夢✨」→前回で済み
◆空を飛ぶ「夢✨」はしんどかった…→前回で済み
◆疲れた時に見る「夢✨」→今回本当はここからです!
◆恐ろしかった「夢✨」
3,「夢✨」の不思議
それではまた、調子に乗って書いていこうと思います(笑)。本来は、上記の順で論を進めていくべきなのですが、都合で 3,「夢✨」の不思議 を先に述べさせてください🙋。
2,の続きは、次回に回させていただきます🙏。
3,「夢✨」の不思議
◆平安時代の「夢✨」との違い
私はもと中学校の国語科教師なので、平安時代の和歌の学習の時に、よく上記のテーマで授業をしました。有名な小野小町は、多くの「夢✨」が出てくる和歌を残しています。
それを参照して、「夢✨」に対する考え方の現在と平安時代の違いを述べてみようと思います。
結論から言うと、現在は、AさんがBさんの「夢✨」に出てきた場合、BさんがAさんのことを思っているからだというように考えるのが普通だと思いますが、平安時代は全く逆。AさんがBさんを思って「夢✨」に出て会いにくる…と判断するのです。
逆に、「夢✨」に出てこない場合は、次のようになります。AさんがBさんの「夢✨」に出てこないのは、現在なら、BさんがAさんのことを思っていないからだと考えますよね。
ところが、平安時代は、AさんがBさんを思っていないから「夢✨」にも出てこない…というふうになります。
だからBさんはAさんに「どうして夢に出てきてくれないの?裏切ったわね!」と切れることになります(この辺りを授業すると、現代の中学生は、「そんなん、知らんし…逆恨みやん💥!」と反応するわけです(笑))。
つまり、平安時代の方が「夢✨」に対して特別に神秘的な、(どこでもドア🚪的な)ワープ装置という価値を見いだしていたということです。
女性は、自由に出歩けない上に、スマホ📱もパソコン💻もない時代ですから、愛する人に逢いたいという思いは、今よりもっと切実だったからかもしれません。もしかすると、今よりずっとロマンチック❤️⁉️
では、その時代背景を考慮した上で、下記の3つの小野小町の和歌を和訳してみましょう!
●「思ひつつ ぬればや人の 見えつらむ 夢としりせば さめざらましを」
~(あなたのことを思って寝入ったら、あなたも私のことを思ってくれていたのね。夢に出てきてくれたわ。あぁ、それが夢の中で夢だとわかっていたら、覚めないでいたのに。残念だわ、覚めてしまって…。❤️)
●「うたた寝に 恋しき人を 見てしより 夢てふものは 頼みそめてき」
~(うたた寝をしていたら、あなたが夢で私に逢いに来てくれたの。あなたの愛を知ったから、あなたに逢える夢というものを頼りにするようになったわ。💚)
●「うつつには さもこそあらめ 夢にさへ 一目をよくと 見るがわびしき」
~(人目を避ける間柄だから、現実にはそういうこともあるでしょうけど、夢でさえ、人目を避けて出てきてくれないというあなたの様子に、私への愛が無くなったということがわかるから寂しいわ。💜)
…なんだか、切なくて素敵ですね❗🌈
◆夢判断、夢占い
ネットで上記の二つのワードで検索すると、本当に次々と記事が見つかります。いかにたくさんの人が「夢判断したい」「夢占いしてみたい」と思っているかがわかります。
ただどうしても広く一般大衆に当てはまるような、どうとも取れる内容のものが多いように思うのです。
「暗示」というか「示唆」というか、それを見る人の精神状態でポジティブにもネガティブにも取れる、変幻自在…という感じがします。
だからどれも、それをみた人にとっては正解で、信じようとするのでしょう。ゆえに、いっそそれを逆手にとって、自分発見のための一つのツールとして捉えてはどうかと思うのです🙋。視点としては次の通りです。
▲自分の現在の精神状態が反映されていると思って見る👀。
▲「夢判断したい」「夢占いしたい」と思う原因が、自分の今の状態にあることを自覚して見る👀。
▲できればネガティブではなく(そういう結果の場合は逆手に取って)、ポジティブな結果を重視して見る👀。
「夢判断」「夢占い」もこういう見方をしてみると、気づかなかった自分の別の側面に気づくことがあるかもしれません。
そうやって自分を客観視する機会を持つことは、この迷いの多い現代社会の中で冷静さを取り戻すために必要だと思うのです。「夢判断」「夢占い」は、あくまでもそのきっかけの一つに過ぎませんが…。
ここで、実際に「夢判断」を自己分析に活かしていく考え方の例を、占術研究家マリィ・プリマヴェラさんのサイトから少し紹介します。🌺
例1 殺す、殺される「夢✨」を見るのは、事態の好転というラッキーな吉夢らしい。
(殺すというのは、積極的に幸運を呼び込む行動力に溢れた状態であることを表し、殺されるというのは、勝手に他人から幸運が舞い込んでくるという良い状態に自分がいるということ)
→怖い「夢✨」だけど落ち込む必要はない。現状の中に幸運があるはずだからそれを掴もう❗
例2 落ちる「夢✨」を見るのは、理想や目標が高過ぎて自分に自信がなく挫折しそうなときに見るらしい。
(目標を見誤っているか、やり方が間違っている場合があるので、現状を正確に分析し直す必要がある状態に自分がいるということ)
→自分の目標やその実現方法を再点検して改善していこう❗
…ね!ポジティブでしょ!🙆。結局は、どんな怖い「夢✨」でも、受けとり方によってなんとでも取れるということです。いろいろな見方があるんだから、くよくよせず、明るく生産的な方向に自分を持っていきましょうよ❗
私は何十年も前に大阪吹田市万博公園の国立民族学博物館、通称「みんぱく」で「ドリームキャッチャー」なるものを購入したことがあります。
私はこの博物館が大好きで、数えきれないほど行きました。ここのミュージアムショップで本📗もよく求めましたが、「ドリームキャッチャー」以外にも、悪夢を見ないおまじないグッズなどをよく買っていました。
どうやら、私はずっと以前から「夢✨」に興味と一種の恐れを感じていたようです😓。
また、「夢✨」に関する様々なグッズが世界中に存在していることを考えると、いろいろな民族が「夢✨」にある種の畏敬の念を持ち、非科学的ではありながら、「夢✨」の謎の大きなパワーがあることは周知のことであったということになります。
「ドリームキャッチャー」についてネット検索すると、次のように書いてありました。
「北アメリカ大陸北部の少数民族オジブワの伝統的な魔除け、装飾品。柳の枝を曲げた輪に糸を張って蜘蛛の巣に見立て、悪夢を捕らえ防いでくれるよう願った。」
その形状は、丸い輪の中に魚を捕る網のような編み目があり、そこから下に3本の紐に付けた鳥の羽を垂らしている…という感じでしょうか。大きさはいろいろありました❇️。
それが悪夢を防ぐ行程は、ネットによるとこうありました🌠。
「悪夢は、編み目にひっかかったまま、夜明けとともに消え去り、良い夢だけが編み目から羽を伝わって降りてきて眠っている人の元に入る。」
なるほど、だからこういう形なのね…と納得!ただ、現在はアクセサリーとして余分にいろいろな飾りを付けたものが出回って、その意義についてあまり考えずに身につけている人や飾り物の一つと誤解している人もいるようです。ゆえに、
「最も伝説的なインディアンやその支援者からすると、神聖なものなので、アクセサリーとして世界各地に広まるのを良しとしない」…ということだそうです。こういう呪術的な物は、雑に扱ってはいけませんね😄。
今回は、一度まとめてみたかった「夢✨」について、いろいろ考えました。「夢✨」には科学で解明できることと、科学を超える意味とがあるように思います。
最後に、私には見たい「夢✨」があります。私の「夢✨」には、一年半前に亡くなった父がまだ出てきてくれません。実家を出て独立していた私は、病気の父の看護を入院していた、たった2ヶ月しかしていません。
もっと長く看病してあげたかった、もっと長く一緒に居たかったと今でも思います。父の亡骸の横で二晩添い寝しました。その時も、「夢✨」は見ませんでした。いつ、私の「夢✨」に出てきてくれるのでしょうか…。
次の第19回目は、「『夢✨』って不思議⁉️その3」
第20回目は、
「『山口百恵 伝説から神話へ』そして…」💐を予定しています。またまた意外なテーマですか?山口百恵さんと私は同い年です(笑)❗芹沢マリリンでした🎵