No.20「『山口百恵』伝説から神話へ」そして…

はじめに

 長くなりそうな「はじめに」です(笑)😆。

 私はブログを特にテーマの順番を決めてから書いているわけではなく、書きたくなったテーマから思い付くままに書き進めているのですが、丁度20回目にこのテーマを書こうと思ったことには、なんだか運命的なものを感じます🙆。

 「山口百恵」…彼女は、41年前に私(私たち)の前から姿を消した大スター⭐です❗40年あまり、ずっと考え続けているわけではありませんが、十何年かに一回ふと周期的に彼女が私の脳裏に降りてくるのです。

 何かで彼女の記事を見たり、息子さんがドラマに出たり歌番組に出たり、もちろん、今では押しも押されもしない有名な俳優である夫の三浦友和さんのドラマを見たりした時に、そして今回のようにテレビでラストコンサートが放映されたのをきっかけに、40年の歳月が一気に昇華されていくのを感じます😃。

 

 彼女とは同じ歳です。同じ昭和の時代を、同じ若い女性として生きていました。だから彼女が芸能界を引退し、その姿を見ることができなくなった21歳の頃の自分に、容易に戻ることもできるのです。

 彼女の歌だけでなく、彼女の生き方から大きな影響を受けた、当時の若い女性の一人として、どうしてもこれを書いておきたかった…このブログはそういう思いの結晶です❗

 

 確かにあれから40年以上過ぎました。なのに、彼女はまだ輝いています🌟。彼女の活躍していた時代には、当然生まれてもいなかった若い女性が、カラオケで彼女の歌を熱唱します🎤🎶。

 テレビ番組では、彼女の歌の歌詞の解説を、子どもより若いタレントが熱弁します。そう、彼女の存在は普遍なのです❗

 20代の若い女性が言いました。「彼女の歌っている姿、歌の内容は、40年たった今でも充分時代に合っている。不思議なほど古さを全く感じさせない。」と。

 もはや、彼女は「伝説」でも「神話」でもなく、「普遍的な時代のトレンド」と言えるのかもしれないと私は思うのです。

 ブログのタイトルの「伝説から神話へ」は彼女のラストコンサートのテーマです。その日からまだ彼女は何十年もかけて『進化』を続けているのです❗そのことについて、自分なりにお話を進めて行こうと思います🙋。

 

 いつものように、先に骨子を提示させていただきます。

1,なぜ今「山口百恵」か❓

2,なぜ「山口百恵」は引退したのか❓

3,「山口百恵」の楽曲から見えるもの

4,「山口百恵」のテレビドラマから見えるもの

5,「山口百恵」の映画から見えるもの

6,雑感🌺

それではようやく本論に入っていきます。

 

1,なぜ今「山口百恵」か❓

◼️「一恵」

 まず彼女自身が作詞したと言われている「一恵」の歌詞から紹介します。

ファンの人は絶対覚えていて今でも歌える歌の一つです。ラストコンサートでも熱唱していました。

 

「あなたは夢だと 人は言う。 なぜなぜ夢なのかと ふと思う。m…🎶

母にもらった 名前通りの 多すぎるほどの幸せは やはりどこか 淋しくて 秋から冬へ 冬から春へ 一つの愛を 追いかけた うつつに戻す罪の深さを 知ってか知らずか あなたへの愛を両手に 呟いた 私は女🎶」

 

 彼女の思いが、そのまま吐露されているような歌詞です。

 大スター「山口百恵」の芸能人としての幸せと、一人の女性としての幸せを、秤にかけるわけではないけれど、どちらも手にいれようと思えばできたはずなのにそれをしなかった、その潔さを感じます。

 さらに、そこに全く「残念だとか、本当は惜しいのだとか」迷った気配が全くありません❗彼女は「愛を両手に」呟くのです。「あなたの愛」ではなく、「あなたへの愛」なのです。自分に正直な彼女のまっすぐな思いが伝わってきます❤️。

 

◼️デビュー

 前述したように、私は彼女のデビュー前から同じ時代を生きてきました。「スター誕生」で「回転木馬」を歌って20社の芸能プロダクションからプラカードが上がり、彼女のデビューが決まりました。中学一年生の時です❗

 芸能人って、スター⭐になる人って凄いですね!やっぱりオーラがありました!他の人とは違う特別な雰囲気がありました!

 一見、同じクラスにもいそうな平凡な容姿にも見えて、実は瞳の奥に宝石💎が輝いているような、尋常じゃないものを感じたのを覚えています。

 この時から、「名前通りの多くの幸せ🍀」を手に入れ、またその「幸せ🍀」を多くの人に与えることのできるスター⭐になったのです❗

 

◼️恋愛の距離

 歌のヒットと共に、「赤い迷路」からテレビドラマに、やがて「伊豆の踊子」から立て続けに映画にも主演するようになります。

 それが運命の出会いというのでしょうか。相手役の三浦友和さんとの愛を育んでいくことになります。

 後で述べますが、8年間で5本の連続テレビドラマと12本の映画は、二人の距離を縮めるのに充分のきっかけとなりました。

 ロケの時はほとんど毎日二人は一緒に時間を過ごすことになります。その二人が惹かれ合っていくのに時間はかからないでしょう。ましてやラブシーンのある恋人同士の設定です。これはもう必然ですね💜。

 

◼️結婚、引退宣言

 そしてとうとう、人気絶頂の21歳にして、たった8年間の芸能生活で引退、結婚して家庭に入ってしまいます。その時のファンたちの驚きやショックは、今でも表現のしようがありません!

 当然、各種マスコミも一斉に大々的に報道しましたが、意外にも概ね好意的な反応だったのではないかと思います。

 もちろん彼女が引退することで、関係者の中には失業する人もいるだろうし、生活が大きく変わってしまったり、大損害を受ける企業もあったことでしょう。

 なのに、なぜ好意的だったのか。やはりそれは、彼女の誰もが驚く潔さ、バッシングも受けたであろう友和さんの徹底した沈黙(不必要に前に出ず、あえていろいろコメントしたりしないという意味です)、

そして、その若い二人のあまりにも爽やかな人間味が、有無を言わさぬ強烈なインパクトとなって私たちの心を打ったからではないかと思うのです。

 大スター⭐をお嫁にもらうだけでもなかなか大変だと思うのに、彼女が望んだことではありますが、結果的には引退させてしまうわけですから、まだ若い俳優だった友和さんにも、その風当たりに堪えるかなりの決意が必要だったのではないかと私は思ってしまいます。

 しかし、友和さんはそんなそぶりも感じさせず、ラストコンサートを終えて劇場を出る彼女をエスコートする姿には、長年彼女のそばにいた静かな信頼感が溢れていました。もう誰もが「お幸せに❗」としか言いようがなかったのです😭💙。

 

 今のように、SNSとかで無責任な発言が誰でもできて、短時間に広まってしまう時代ならどうでしょうか。いやそれでもやはり「お幸せに❗」となったと思います💚。外野の雑音など、彼らに届く隙間はありません。

 ましてや、ありがちな、実力のある大スター⭐なのに、引退して家庭に入ってしまうなんて女性差別を助長する…なんて視野の狭い低俗な反応は全く賛同を得られず一蹴されることでしょう。

 なぜなら、周りの様々なことに惑わされず、自分たちの生き方を自分たちで決めたのですから。それほど、二人は輝いていましたから🌟…。

(今日は11月22日、いい夫婦の日です。15年間ずっとベスト夫婦賞は、三浦友和、百恵夫妻で殿堂入りだそうです❗さもありなん(笑)🙆)

 

◼️記憶を記録

 ラストコンサートのLP(懐かしい響きですね)を、私は当然持っています。カセットテープも持っていますが、どちらも聴くことができません。レコードプレーヤーもカセットデッキ📼もあるにはあるんですが、普段使いしていないので、原盤が傷むのが怖くて聴けないのです。

 いつかもう一度聴きたいと思いながら、はや30年以上が過ぎ、それでも諦めきれずにいると、ある日DVDを新聞広告で発見したのです。即日申し込み、購入。

 しかし、いかんせん画質が悪くて、今の4Kテレビで見ても当時のようなイメージでは見えなくて、少し残念な思いがしました。

 それでもある程度満足していたら、なんと今年10月5日テレビで鮮明映像に再処理されて放映され、美しい映像で録画することができたのです💐。もちろん我が家では永久保存版です❗

 

 41年たって、ラストコンサートが再放送される…「山口百恵」とはそういう存在なのです。私のように同じ時代を生きた60代の人間が、思い出として見ただけではなく、若い人が親から聞いて、またテレビの特番で知って(70~80年代の歌の上手い歌手第一位という番組もありました)、カラオケ🎤🎶で知って…と様々なきっかけで、この番組を見たのでしょう。今、「山口百恵」なのです‼️

 

2,なぜ「山口百恵」は引退したのか❓

 私の勝手な思いです。彼女には怒られるかもしれません(笑)😄。でも今まで同じ41年を生きてきたファンの一人の呟きとして大目に見てくれるでしょう(笑)😆

 

▼同年代のスター⭐たちの今

 「山口百恵」の同年の歌手には、「花の中1トリオ」から「花の高3トリオ」まで、ずっと3人で活動することが多かった森昌子桜田淳子がいます。

 彼女らは企画としてトリオと呼ばれてはいましたが、高2ぐらいからそれぞれの道を歩むことが主になり、高3で解消しました。

 同時期、男性歌手は郷ひろみ野口五郎西城秀樹が、同じように「御三家」と呼ばれて活躍していました。日本人は3が好きですね(笑)。

 森昌子は言わずと知れた演歌の大御所となり、同じく演歌歌手の森進一と結婚し、離婚。最近芸能界を引退しました🌸。

 桜田淳子は、一世を風靡した可愛い系アイドル。演技力に定評があり、ドラマにも多数出演していましたが、さる宗教団体の広告塔のようになり、信者と結婚し引退しました🌻。

 また、岩崎宏美石川さゆりも同年。二人は現役の実力派歌手として現在も活躍中です🌷。

 少し年上には、小柳ルミ子麻丘めぐみ天地真理あべ静江がいます。小柳ルミ子は歌手として舞台で活躍中のはず。麻丘めぐみは通販番組でときどき見ることがあります🌼。

(そして、少し年下が、松田聖子中森明菜の二大巨頭のあの時代になります。ただし、彼女らが脚光を浴びたのは、「山口百恵」が引退してからです。)

 彼女たちが20代の前半だった頃、「山口百恵」が、トップスター⭐で、絶頂期に突然結婚、引退したわけです。イメージできましたか?☺️

 

 彼女と同じ時代を生きたスター⭐たちの現在を思い起こしてください。私と同様にもう還暦を過ぎています。若い頃はどんなに顔もスタイルも美しく歌が上手な人であっても、やはり歳には勝てません。

(失礼なことを言って申し訳ありませんが、イメージが✕✕✕✕、何でそんなに✕✕✕✕?…と思ってしまう人も残念ながらいます。)

 しかし、中には、今もなおその輝きがほとんど変わらない人もいます。その人は、昔と同じ美しさを保っていると言うより、年月の蓄積が内面の深みを増し、たゆまぬ努力によって、また別の魅力を備えてきた本当の芸能人なのでしょう💐。

 私のような一般人には、一世を風靡した芸能人には、いつまでも綺麗でいて欲しい。歳を取るのは仕方ないけれど、芸能人でいる以上、やはり輝いていて欲しいと思うのは、勝手なわがままなのでしょうか(吉永小百合のように、余貴美子のように、年齢がまた別の美しさを重ねて素敵な歳の取り方をしている女優さんもいますよね)。

 

 そういう芸能人という存在の意味を、彼女はよく知っていたのではないかと思うのです。芸能人は、「一恵」の歌詞にあるように、一般人にとってはまさしく「夢」なのです✨。

 芸能人というものの「刹那の魅力」と、その「永遠の宿命」を、誰よりも深く知っていた彼女は、自身の絶頂期に消えることによって、自らの記憶をラストコンサートの時のまま、私たちの心に最高の状態で刻み付けることに成功したのです。その記憶は生涯色褪せることはありません🌺。

 

▼「山口百恵」のセオリー

 「世の中の全てのものも考え方も、変わらないということはない。常に移り変わっていくものなのだ」…これは、「平家物語」のテーマ、「諸行無常」であり、いわゆる「無常観」というものです。

 彼女が本当にそう思ったかどうかは定かではありませんが、私には「無常観」というものの本質を知っていたように思えてなりません。

 21歳の今が芸能人としては一番美しく、今の人気が絶頂であること、絶頂なら後は下るしかない運命であること、それを理解した上で、ファンにとって最高の状態をキープしてあげたい…そう思ったのではないでしょうか。

「ファンを悲しませる結果を選んだ自分の、これが最後のファンサービス」とも思ったのかもしれないと、熱烈なファンの一人として私は思うのです🙆。

 

 もう一つの彼女のセオリー、それは「自分の人生で一生を懸けて大切にすべきものは何なのか?」という命題の答えです。

 彼女はあまりにも早くその答えを見つけてしまいました!その答えが、芸能界以外に見つかってしまったのです。もちろんそれは、三浦友和さんへの愛を成就させること💜。

それが芸能界と両立させることは困難であること、自分の性格では曖昧な両立を良しとしないことなど、答えだけではなく必要条件も、彼女は自覚していたのではないかと思うのです🌟。

 

「母にもらった名前通りの 多すぎるほどの幸せは やはりどこか 淋しくて 秋から冬へ 冬から春へ 一つの愛を 追いかけた🎶」という「一恵」の歌詞を、やはりここでも思い出してしまいます。

 

 彼女は決意しました。全勢力を、彼との愛を成就させ、幸せな家庭を築くこと、俳優としての彼を支えることに捧げようと。

そこに自分の人生を懸ける意義を見いだしたのです。他のことは、全てそれの価値に及ばなかったということです。そこに、小気味いいほどに潔い、一人の女性の生き方を見る思いです…。

 

 やはり、一回では半分も書けませんでした。続きは次回に回させてください。

次の第21回目も

 「『山口百恵』伝説から神話へ」そして…その2

  第22回目は、

 「海外へ行けないなら、沖縄へ行こう❗」を予定しています。

書いているうちに、知らず知らず「一恵」を歌っていました。それも大声で(笑)❗芹沢マリリンでした🎵