No.27海外に行けないなら沖縄へ行こう❗その2

 せわしない年の瀬になりました。皆さん、今年やり残したことの整理や、迎春準備にお忙しくされておられることと思います。

 我が家は、夏に断捨離も済ませ、今後は「本当に必要なものとしか生活しない」をスローガンに、物を捨てまくって減らし、掃除もしたので、今年は大掃除もなし🙋❗(いや、済みというべきか)。

 2年後くらいに断捨離第2弾を予定しています。これからの生活のために、なるべく早いうちに一階をリフォームし、来年からの2年間で使わなかった食器、着なかった服を完全に処分して物を最大限減らし、老後の生活準備OKとしたいと思います。

 まだ早いですが、遺品整理や家の片付けで子供たちに苦労をかけるようなことは絶対にしたくないので、まだ私自身が充分動けるうちに、やれることはやっておきたいと思います。その方が、自分も気楽に好きなことができるからです(笑)🙆。

 

 今年がこんな年になるなんて誰が想像したでしょう。コロナ禍の第3波は、依然として鎮静化の兆しも見せず、昨日の重症者数は過去最高で、医療が逼迫している地方自治体が増えそうです。京都の感染発覚者数も過去最高でした💦。

 世間は、自粛のストレスと、そこからの同調圧力(単なる視野の狭い、幼稚な自己中からだと思いますが)によるカスタマーハラスメントがマスコミで取り上げられ、なんとも息苦しくなっています😥。

 私は毎日「羽鳥慎一モーニングショー」を見ています。この一年、いろいろな番組を見比べてみて、この番組が最も信頼でき、私が納得し賛同できる意見を述べていると判断しました。(官邸が最も厳しくチェックしているらしい番組でもあるそうです。もちろん私とは異なる理由で)

 旭川や大阪への自衛隊の看護官の派遣も実現するそうで(旭川への派遣は実現しました)、やっと動きが見えて来たなぁと思います。

 前回のブログでいろいろと勝手な(自分としては本心からの希望です)要望を羅列させていただきましたが、とにかく今は何よりも医療従事者への手厚い物心両面の配慮を、国として行っていただきたいと強く思います❗

 

 それでは、前回のブログの続きに移ります。まずは前回にその1をアップした今回のブログの骨子の確認からさせてもらいます。

1,なぜ今沖縄か❓→前回で済み

2,今までに行ったことのある沖縄❗→今回はここからです。

3,今度行ったら味わいたい沖縄❗

4,沖縄でこれを食べたい❗

5,沖縄土産にこれを買いたい❗

 前回は「はじめに」でお話したいことが多すぎて、「1,なぜ今沖縄か❓」しかお話しできていませんので、早速本論に入らせてもらいます。

 

2,今までに行ったことのある沖縄❗

 私は今までに2度、沖縄の地を訪れています。あくまでも仕事の出張です。13年ほど前に修学旅行の下見と本番で行きました。

 その時の修学旅行のテーマは4つ。

第1に、「沖縄の歴史や文化、自然について学ぶ」。

第2に、「沖縄戦を通じて、平和について学ぶ」。

第3に、「民泊を通してコミュニケーション能力を高める」。

第4に、「集団行動のスキルを高める」でした。訪れた場所や体験もそのテーマを元に決めています。

 

 第1の「沖縄の歴史や文化、自然について学ぶ」という目標の達成のために、「首里城(3日目、全員で見学)」「琉球村(2日目の班行動のチェックポイント)」「美ら海水族館(同じくチェックポイント)」を訪問しました。

 また、沖縄の海を体験するために、シュノーケリング・バナナボート🍌(これは思った以上にスリリング!)・イルカと泳ぐ体験🐬・海釣り体験等を班毎に行いました。

 私は国語科の教師なので、「沖縄方言を覚えて現地で使おう!」を合言葉に方言の学習をして、定期テストにも出題しました。例は次のような言葉です。

「はいさい」←こんにちは

「にふぇーでーびる」←ありがとう(沖縄には、「にへでビール🍺」というビールがあります。)

「くわっちーさびら」←いただきます

「ぐぶりーさびら」←さようなら

 

 第2の「沖縄戦を通して、平和について学ぶ」の目標達成のために、「ひめゆりの塔」「ひめゆり平和祈念資料館」「平和祈念公園」「平和の礎(いしじ)」を訪れました。

 前年度から、沖縄戦についての学習を行い、記録映像をVTRで見て学習し、「ひめゆりの塔」の前で平和式典を行いました。また、語り部の方のお話も全員で聴きました。

 

 第3の「民泊を通してコミュニケーション能力を高める」の目標達成のために、班を男女に分けて3人ずつで今帰仁村(なきじんむら)の協力を得て民泊を行いました。

 集合場所に馬で迎えに来てくれたホストさんや、夜満天の✨星空を見ながらファイヤーストームを焚いてくださったホストさんや、朝ご飯を近くの磯辺で自分たちで海の幸を採って食べるようリードしてくださったホストさんもおられました🐙。

 それぞれのホストファミリーの皆さんの心づくしのおかげで、本当に貴重な体験をさせていただきました。(事後の反省アンケートで、楽しくて印象に残ったこと第1位は「民泊」でした!)

 

 第4の「集団行動のスキルを高める」の目標達成のために、学級委員会で構成された実行委員会中心に、目標・ルールも自分たちで決め、事前・事後も含めた集会や係会議、ホテルでのレクリエーションの企画運営、現地での挨拶など、全て生徒の手で行いました。

 私は実行委員会の指導担当だったので、帰りの飛行機✈️の中でCAさんの許可を得て、実行委員長の席の隣に立ったまま30分ほど、最後の解散式の打ち合わせを行ったのを覚えています😃。

 生徒を全面に出して生徒の力で取組を成功させるのは、教師主導より何十倍も手がかかります。しかしそれが、表面的にそつなく成功させることよりも、ずっと大切なことなのです。

 こういう取組は、行くまでの数ヶ月間の準備と、帰って来てからの総括が大事です。その中で、いかに生徒たちに集団をまとめるスキルを学ばせ身につけさせるか、自分たちの手でやりきらせるかが最も大切なのです!🌟

 生徒たちはそういう経験を経て、将来何かの課題を与えられた時、またトラブルに見舞われた時の解決方法を身を持って体験し、問題解決能力を高めていくのです🌈。

 少々、自分の職業(中学校の教師)的なお話が長くなりました。もしも、読者の方が教育に興味があったり、教師だったり、教師を目指す方なら、是非私の第2作目「(若い)先生たちへの応援BOOK」を参照してください!リーダー指導について、実践したことを時系列で詳しく述べてあります(すかさず宣伝(笑)😄)

 

3,今度行ったら味わいたい沖縄❗ 

 さあて、(深呼吸)話は変わって、沖縄で過去にした体験を踏まえて、「今度行ったら味わいたい沖縄」についてお話を進めていきたいと思います。

 ここからは、定年退職してからの自由なプライベートトラベルですから、ミーハーな軽いお話になるので肩の力を抜いてください(笑)😆。

 

◆旅行期間

 時間を気にせずゆったり過ごすアダルトな休暇にしたいので、5日から一週間は欲しいですね。

 もともと以前に行ったマレーシアのペナン島とかラオスの古都ルアンパバーンで、移住レベルの長い期間の滞在をしたいという夢もありましたから(この2ヶ所は、行ってしまえば生活費はほぼ日本の十分の一?)、それに近いようなことをしてみたいのです。

  那覇空港に着いたら、一気にレンタカーで北部まで走り、日毎に南下していくというのが理想です❗最後の日の前日にレンタカーを返却して、飛行機✈️の時間までに沖縄唯一の鉄道モノレール🚝「ゆいレール」に乗ってみたいです❗

 

◆宿泊場所

 長期間滞在したいので贅沢は言いません。格安コンドミニアムかペンションのようなところを2ヶ所ほど渡り歩き、最後の日だけ那覇市内のホテルに泊まる(夜遅くまで那覇市を堪能したいので)のがベストです😄❗

 海外に行ってもホテルはほとんど寝るだけで、少しの時間も惜しんで観光していましたから、いつもSクラスホテルをもったいないと思っていました。

 ただし、海外ではセキュリティーを考慮せねばならずやむを得ません(このあたりの「海外ホテル事情」は、私の第1作目「おばさんの海外旅行 あるあるエピソード集~ハプニングこそ醍醐味~」をご覧ください)。

 

◆訪れたい場所

⭕前回のブログで詳しく書きましたが、改築中の「首里城」には行ってきたいと思います。人間のパワーを感じてきたいからです。

 

⭕3回目になりますが、「ひめゆりの塔」と「ひめゆり平和祈念資料館」に訪れたいと思います。戦争の犠牲になった第一高等女学校の生徒・職員219名の慰霊の意味もありますが、もう一度平和の大切さを心に刻んできたいと思うのです。

 またこちらは訪れる人が少ないと聞きましたので、第二高等女学校の生徒・職員119名の慰霊碑「白梅の塔」にも訪れたいと思います。

 

⭕また、戦争遺跡として今度行くときには絶対に訪れたいのが。ガマです。ガマとは、防空壕であり、避難場所であり、日本軍の陣地・負傷兵の病院でもあった洞窟のような場所です。南部読谷村に多くあります。

 中でも80名の方々が、集団自決された「チビチリガマ」(遺族会の意思で中には入れません)、1000名の方々が投降して助かったという「シムクガマ」(英語が話せる日本人がいて、米兵とコミュニケーションをとり、投降することができたそうです)、270mも掘られているという「糸数アブチラガマ」も訪れたいと思っています。

 絶対行かねばならないという使命のようなものを感じるからです。

 その理由の一つとして、ここで少し紙面を割いて、私の第2作目「(若い)先生たちへの応援BOOK」の第4章「教師は他の何よりも授業で勝負!」の次の部分から、戦争について書いてある部分を紹介させてください🙋。

【vol.11、授業は短期・中期・長期も計画的に……

 まず「中学3年間で生徒にどんな力をつけたいのか」を教師は明確に持つ必要があります。それによって授業計画が決まるからです。

 私の場合は、「将来社会に出た時に、あらゆる情報の渦の中で、何が正しくて何が間違っているのかを見極められるような正しい判断力を身につけること。

 その基礎となる読解力を身につけること。そうして判断した自分の考えを表現する力をつけること。」の三つです。

 これらは、第二次世界対戦時に、600万人ものユダヤ人を虐殺したとされているナチスドイツの総統ヒトラーが、教育関係機関に命令した「子どもたちに与えてはいけないもの」であったと言われています。

 つまり、彼が最も畏れたのは、子どもたちが「判断力」「読解力」「表現力」を持つことでした。

 ゆえに、平和な社会、平和な世界の担い手となってほしい子どもたちの教育に携わる者は、その正反対を目指さなくてはなりません。ヒトラーの出したこの命令を反面教師に、私は心の奥底に常に意識してきたように思います。

 私は、今はなき父親と戦争について話したことがあります。父は15歳の時に終戦を迎えました。それまでの小・中の教育の中で「天皇陛下のために、お国のために、自らの命を捧げて戦うことこそ日本男児の本望」だと思い込み、特攻隊に志願し、15歳になったら駐屯所へ出発するつもりで手続きをしていたそうです。

 ところが、1945年8月15日に戦争は終わりました。父の誕生日が8月31日で、まだ15歳に満たなかったために父は死なずにすみました。

 もしも、まだ戦争が続いていたら私はこの世にいません。私の子どもたちも孫たちも、この世に生まれてきていません。

 平和を語れる教師はどんどん少なくなっています。もちろん経験した人は既に現場にはいません。しかし、実際に戦争を経験した人から平和を学んできた教師はまだたくさんいます。しかし、その数はだんだん減っていくでしょう。新しく戦争や平和について学ぶことが、今までより寧ろこれから先に必要になって来ると私は思います。】

 

 現在私は定年退職して、その後講師をしていましたが、母の介護のためにもう教師はしていません。しかし、一個人としても、いつまでもこの思いは持ち続けていたいと思います。

 

 いつの間にかページの限界まで着てしまいました。続きは次回の「その3」に回します。

次の第28回目も

 「海外に行けないなら沖縄へ行こう❗その3」をお送りします。

  第29回目は、

 「COVIDー19の一年を新聞記事から振り返る❗」

を予定しています。コロナの状況が少しでも好転するといいですね!来年こそ、本当に良い年になりますように❗芹沢マリリンでした🎵