No.75実は私、小説も書いてます❗その10 

 京都府立植物園で28年間も育ててきた世界最大の花ショクダイオウコンニャクの巨大な花が咲きました❗この植物のことは少女の頃から知っていて、とても興味を持っていたので、2メートルもの花が咲く様子を動画で見て、一人興奮していました😆。

 残念ながら2日しか咲かないので見に行けませんが、強烈な腐敗臭がするらしく、マレーシアでドリアンの大人食いをする私ゆえに、ちょっと嗅いでみたかったなぁとも思います(笑)😁。

 実は私は「食虫植物」も大好きで(笑)、植物園の温室でウツボカズラモウセンゴケなどを見つけると、家族で一人、夢中で写真を撮ったものです!なかなか理解してもらえないので(笑)😅。

 以前CO・OPの通販でハエトリソウを購入し、蝿を採るのは難しいので、代わりに竹輪を小さく切ったものをエサとして与えて育てていました(笑)❗

 1ヶ月ほどで枯れてしまったのですが、その理由がさっきわかりました!

 今私は、NHKBSプレミアムで8Kの「イングリッシュガーデン」の番組を観ています。(こういう番組を好んで観るほど、植物が好きです❗ただし、育てるのは苦手です(笑)。) 

 その番組で言っていました。「ハエトリソウは、1回口を閉じると、2日かかって開ける」と。

 そうです!私はハエトリソウで遊び過ぎました💦。口を開け閉めするのが面白くて、何度も触ってしまったからです。ハエトリソウさんごめんなさい😭。

 

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  今回も、私の小説「刹那~襟子」でお楽しみいただければ嬉しいです😆🎵🎵。

   「刹那~襟子」 第三章 『叙情的恋愛』続き

 そして、遠からず彼らは失敗する。襟子は、彼らが決して悪い人間ではないことを知っているだけに、運命な抗えず流されていく二人のこれからを思うと胸が詰まった。

 しかし、襟子は思わずにいられなかった。社会的地位も分別もあるはずの四十代の二人に、ブレーキをかけるチャンスはなかったのだろうかと。

 その後のことを考え、互いの家族のことに思いを巡らせ、世間への影響を考えて思いとどまることはできなかったのだろうか。

 双方にきちんと話し、法的にきちんと離婚し、責任を取るというプロセスを踏むことだってできたはずである。

 しかし、その考えがもはや無為なものであることも彼女にはわかっていた。・・それができるなら、こんなことにはならなかった。

 できなかったのだ。もう片時も離れているとこができなかったのだ。その些末?な一連の手続きの時間さえ、離れたくなかったのだ。

 寧ろ、破滅に向かって一気に流されていくことを自覚しながら、確信犯然として彼らは決行したのだ。こうするしかなかったのではないのだ。

 

 答えの出るはずのない問いを繰り返し、それでも襟子は荷物をまとめ始めた。捨てるものは小さなペーパーバッグ一つ分しかなく、ほんの少しの荷物は、瞬く間に部屋の外の通路へと片付けられた。

 間もなくリサイクル業者が全ての痕跡を運び去ってくれるだろう。襟子は、この場面には不似合いな、真っ赤に燃える鮮やかな夕焼けを背にしながら、しかし心のどこかで、そんな彼らを寧ろ羨ましいとさえ思ってしまう自分がいることを、はっきりと感じていた。

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 恋愛とは、人を愛するとはどういうことなのだろう。そして、不倫とは・・。全てを片付けて帰る道すがら、襟子はしばし考え込んでしまう。

 独身者同士が知り合って恋に落ち、周りの人たちに祝福されて結婚する。しばらくすると子どもが生まれ、子育てをしながら社会的にもごく常識的な地位を得て、いずれ安定した老後を迎える。

 ・・これがよくあるごく普通の人生の道筋であろう。ところが、それ以外の恋愛は、どんなものでも、ひっくるめてまとめて不倫と呼ばれ、倫理的に許されない行為として社会的制裁を受ける。

 例えば、何かの拍子に夫が若い独身女性に心を奪われる場合がある。また、独身女性が、経済力のある、同年代よりも落ち着いた既婚男性に好意を持つことが起こる場合もある。

 女性の場合は、何も要求せずにそのまま陰の存在に甘んじる場合もないではない。しかし、よくあるのは、相手の男性に、妻と別れて一緒になってくれと迫る場合だ。

 若ければそれだけでも自信があるし、自分の将来も長いから、人生をやり直させることに積極的になってしまう。修羅場を見る不倫は、ほとんどがこのケースだと言えるかもしれない。

「もう少し早く出逢っていたら・・。」

という呪文のような言葉があるが、きっとその時でなければ恋には落ちていない。避けられない運命的な出逢いというのは、代わりがきかないのだ。

 

 逆に、妻が別の男性に恋心を持つ場合もあり得る。配偶者以外に恋愛感情を持つのは男性とは限らないのだ。働く女性であろうが専業主婦であろうが、そんなことは関係ない。

 世間一般がその可能性に敢えて言及しないでいるのではないか、避けているのではないかとさえ思えるほど、この範疇の片隅に置かれているのがこのケースであろう。

 この場合は特に、相手は未婚既婚にかかわらず、年上でも年下でもあり得る。相手の男性が、独占しようとする場合もあるだろう。それとも、また深く、密かに浸潤していくのだろうか。

 

 また不倫に走る既婚者は、配偶者に物足りなさや共感できない精神的不満を感じているからだとしたり顔で言う人がいる。

 更にDVや常人には理解しえない言動を執るひどい配偶者ゆえに、他の人へ気持ちが移るのだと言う人もいる。果たしてそういう場合だけなのだろうか・・。

 襟子は、繭子から夫の人格や性格や日常の行動を非難する言葉さえ、一言も聞いたことがない。寧ろ彼女からことあるごとに何度も聞かされていた。

「夫には何も悪いところはないし、何の文句もあり得ない。人間的に信頼しているし、夫として変わらず愛している。」

と。どんなに配偶者を愛していてもある一瞬のそれこそ「逢魔が時」に魑魅魍魎にみ魅入られるように、別の人間に奪われる心を取り戻せなくなることは、残念ながらあり得るのだ。

 繭子たちの場合は、その上、互いに何も求めなかった。未来を考えることもなかった。昨日までは・・。

離婚して再婚したいなどと聞いたこともない。

 二人の時間をもっと持ちたいとも、互いを独占したいとも思っていなかったと襟子は断言できる。そう、昨日までは・・。

 本来の繭子たちの恋愛は、相手に何も求めない、未来も考えない、ただ相手の愛だけを欲していた。刹那に交わす互いの愛だけが彼女たちを支えていた。考えようによっては、なんて純粋な愛の形なのだろうと襟子は思ってしまうのだった。純粋な愛が、この世に本当に存在すればであるが・・。

 ごく普通の結婚をする若い独身の二人であってもその心の奥底に、相手の将来性、金銭的な生活の安定、子供の将来性まで考慮に全く入れないという人は、どれだけ存在するだろうか。

 襟子自身も、結婚の折、それらを全く考えなかったとは言いきれない。それは決して悪いことではないはないし、寧ろ常識と言えるかもしれないが、繭子たちの恋愛に比べれば、功利的な比重が大きいと思えてしまうのだ。

 敢えて言う。叙情的とは対極の打算的な恋愛が、世間ではほとんどの割合を占めていると言ったら言い過ぎだろうか。

 襟子は本当のところがわからなくなってしまった。また自分の精神の脆いところが露出していく危険、神経のニューロンの尖端が、じくじくと音を立ててアラートを発出している。

 自らが自らを苛むイメージに翻弄されながらも、襟子は考えざるを得なかった。

 人を愛するとは何なのだろう。言うまでもなく、浮気や体だけの関係は論外である。結婚という形態は維持しつつも、愛のない生活を流れのように続けている人たち、ただ惰性で家庭を営み続ける人たち、配偶者賀この世を去った時に、あなたと生きて幸せだったと言うことができない時間を、ただ過ごして来た人たち、それでも彼らは社会的に非難されることはないのだ。

 繭子たちは、とうとう離れることができなくなった。愛しすぎて、相手が自分の体の一部になってしまい、切り離すことができなくなってしまった。

 彼らは去った。何もかも捨てて・・。

 

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 今回は、ここまでにさせてください。次回はいよいよ、第四章「濃厚接触」に進めそうです。

 世間は真夏、今日も猛暑日でした!夏休みに入って、学生たちは部活動の夏の大会を迎えています。どうか熱中症に気をつけて、元気に今までの成果を発揮してほしいと思います😃。

 エアコンを5時間タイマーにしないと眠れません。タイマーが切れると途中で起きてしまい寝不足です。でも、基本的に夏は大好き❗😍。8月生まれの獅子座の芹沢マリリンでした🎵