No.77実は私、小説も書いてます❗その12

 2日続けて全国の新規感染者数が1万人を越えています!私の予想以上の増加です。まるで外国のニュースを見ているようだと危機感を覚えました。

 知人の中には、「重症者数や死者数は減っているのだから、寧ろ状況は良くなってるんじゃないの?」とか、「高齢者の感染が減って、ワクチンので効果が大きく出てるんだから、政府の施策が功を奏しているんじゃないの?」とか 

「マスコミがいたずらに危機感を煽って、せっかくのオリンピックに水を差しているとしか思えない!」

という人もいます。

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 しかし、私の考えは違います。コロナの軽症者は、状況が悪くなれば中等症になります。中等症の人は、いつ重症化するかわかりません。

 重症者のエクモを使った治療の様子をテレビのニュースで見たことが一度もないという人は少ないはずです。あの大変さは、本当に命の現場だということを考えさせられます。

 治療の効果が出て命の危機を脱しても、普通の状態に戻るには大変なリハビリが必要だと繰り返される報道から知りました。

 また、日常の生活に戻っても、後遺症が残ったり、メンタルに支障が出たり、家族を含め生活が大きく変わってしまったり・・決してコロナはインフルエンザと同様に考えられるものではないと、私は思っています。

 誰もが感染の可能性があり、感染したら重症化する場合のあるこの疾患に関して、私は絶対に安易に考えてはならないと思うのです。

 私は明日ワクチンのことを2回目を接種しに行きます。帰省のためにPCR検査も申し込みました。私の故郷では、この夏に帰省する人対象に、無料のPCR検査をネットで申し込むことができるのを家族に教えてもらったからです。

 ただ、道中公共交通機関などで感染しないとも限りません。個人的な理由で今はあらゆるリスクを避けたいので、PCR検査が陰性でも、帰省するかどうか迷っています。

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 この夏を健康に乗りきるために、さまざまなことを我慢しています。そういう人は多いはずです。でもそういうことを考えなければならない状況に今来てしまっていると、残念ながら私は思います。

 その原因は、今までのブログにずっと書いてきました。この2年間、コロナ禍(コロナの原因ではありません。なぜコロナを乗り越えることができないのか、コロナ禍の原因です。)の原因についてずっと考えてきました。そして、発信してきました。

 この国は何を大切にする国なのか、どこで間違ってしまったのか・・次第に明らかになって来てはいますが、今もなお考え続けています。

 「政策としてこの点が間違っていました。こうするべきでした。だから今後はその反省の上に立って誤りを正し、こう変えていきます。なぜなら、最も大切なのは、⭕⭕だからです!」・・という、リーダーの、「私」にも理解しやすい、血の通った言葉を待ち望んでいるのです・・。

 

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 今回も、私の小説「刹那~襟子」で非日常を束の間お楽しみください🙋。

  「刹那~襟子」 第三章 叙情的恋愛 続き

 いつの間にか彼が起きて、繭子に背を向けて身支度をしている。繭子は、ネクタイを背中の方に回し、襟を立てて締める彼の仕草が好きだ。帰るまで、二人はほとんど言葉を交わさない。が、この日は違った。

「限界だな・・。」

「そうね・・。」

「何処かへ行こうか・・。」

「わかった・・。」

その余りにも意味の深い、短い言葉のやり取りが、彼らのその後を決めた。機は熟していたのだ。それ以上の言葉はいらなかった。

 

 繭子の踏みしめる床や地面はふわふわだ。頼りなく湾曲し、めり込み跳ね上げ、自在にその形を変えようとする。立っているだけに繭子は渾身の力を振り絞る。

 しかし、とうとうその揺れに身体を任せようと思うようになった。地面が沈んだら自分も沈む。地面が浮き上がったら自分もゆっくり浮き上がろう。

 なだめてすかして、精神の安定を得ようとするのに、頭ではわかっていても身体が言うことを聞かないのだ。繭子の身体は、一人の一人以外に癒されることを拒否してしまう。今ではその思いを、かたくなに発露する・・。

 二人には今の生活の基盤と、どうやって折り合いを付ければいいのか蛾わからなかった。そして、何処へいくのか、どうやってこれから生きていくのかも定かではなかった。

 ただ、この部屋から出て右と左に別れ、まるで何事もなかったかのように、それぞれの家族が待つ家に帰るのは無理だったのだ。もう片時も離れていることは不可能だった。二つの顔を使い分けて生きていくことには、既に限界が来ていたのだ。

 それでも繭子は、これだけはわかっていた。二人がこれから何処かへ行くとしても、長くは続かないことを。離れていた今までよりも、一緒にいるこれからの方が、別れの日が近いことを。自分たちは、別れるために一緒にいようとしているのだということを・・。

 

 このまま二人は何処まで行けるだろう。どちらかが死ぬまで?決して全く同じ量ではあり得ない互いの気持ちの、どちらかが離れるまで?それともほんのわずかの日々?

 その答えは繭子自身にもわからない。ただ、自分たちは終わりに向かって走り出したのだということに、おそらく彼も気づいているであろうことを感じていた。

 繭子は思った。自分たちの、今では決して許されることのない「罪」になってしまったこの行為を、遠い遠い未来に、過去の思い出の一つとして甦らせるようになるのだろうか。それは、甘美な記憶として・・?それとも、鈍い痛みとして・・?

 二人は揃って部屋を出ると、破滅に向かって互いの車を起動させた。バックミラーで愛しい人の静かに凪いだ表情を確認した繭子は、決然と車を発車させるのだった。

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  第四章 「濃厚接触

 その日襟子は、普段滅多に乗らない市内循環バスの中にいた。襟子は、気が重い。襟子ぐらいのベテランになると、契約した事業所回りなどの営業の仕事が回って来ることは今までにもあり、それなりの年齢で落ち着いた襟子は、急な事業所訪問もそつなくこなしていた。

 しかし、今日の業務命令は、コロナ禍により、業績に支障が出ることを見越して事業所からの発注を減らすという、契約違反にも抵触しそうな内容を伝えに行く、文字通り平身低頭が要求される気の重い内容だった。

 襟子の職場では、社用に自家用車の使用を禁止されており、おまけにタクシー券も削られたためバスを利用するしか方法はなかったのである。

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 襟子が乗ったバスだけでなく、ほとんどの交通機関は三密を避けてソーシャルディスタンスを取っており、通勤通学時間帯でもないため、乗客は十名ほどしかいなかった。

 それでも道路は混雑しており、目的地まで1時間以上かかると予想して、襟子は最後尾の席に座った。普段なら、学生の集団しか座らない場所である。

 他の客と距離を取りたかったのと、滅入った気分を少しでも和らげようと、見晴らしの良い席を無意識に選んだのかも知れない。

(なぜ、よりによってこんな時に・・。)

1時間後に、襟子がこんなことを思うようになろうとは、その時は襟子自身も、他の乗客も、誰一人として脳裏に浮かべた人はいなかったはずである。

 

 乗客はコロナ時の常識通り、できる限りの間隔を取って座っていた。やむを得ない理由で外出しているのだろうか八十歳は過ぎていると思われる高齢者が1人、襟子の近くに座っていた。

 二列おいて前に、五歳ぐらいの幼児と若い母親、真ん中あたりに会社員らしい四十がらみの男性が二人、通路を挟んで隣り合っていた。同じ会社の同僚だろうか。

 その前に六十代後半ぐらいのきちんとした身なりの中年女性、あと数名の若い男女がパラパラと、その後頭部だけを見せていた。

 襟子からははっきりとは見えなかったが、全員当然マスクをしている様子で話し声も聞こえず、奇妙な静寂が車内に一種の緊張状態を醸し出していた。

 

 間に通路を隔てて座っていた会社員の話し声がかすかに聞こえてきた。どうやら、話題はコロナ禍のため最近急激に増えたテレワークのことのようだ。

「本当にこれでいいのかって思うときがあるよ。」

「仕方がないんじゃないですか、無理に部下を出勤させるわけにはいかないでしょう。」

「もちろん、テレワークでも仕事はできるさ。テレワークの方がいい仕事ができる時もある。それは認める。何より安全だからな。しかし・・。」

「まぁ、職種にもよりますが、この機会に社屋を廃棄して全部テレワークにして、莫大な経費節減で利益を上げた会社もあるらしいですよ。このコロナ不況の時に。」

「それでいいのかなぁ。俺はリモートじゃ煮詰まった論議ができないような気がするんだ。隔靴掻痒って感じかな。フェイスシールドを二重に付けてでも、同じ空間で相手の存在を物理的に感じながら話をしなくちゃ、本当のいい考えなんか浮かびようなないよ。そんな考えは若い奴らには、古いって一蹴されるだろうがね・・。」

「難しい時代ですね。僕ぐらいの齢でも適応するのに必死ですよ。」

 弱々しい笑い声でその会話は終わったが、襟子は彼らより年上ゆえに、言いたいことはよく理解できた。コロナの渦中では、新しい生活様式に慣れていかなければ命さえ脅かされるのだ。

 あらゆる面で、今までの固定観念を払拭し、発想の転換が求められる。若い柔軟な頭と違って、経験や知識が多い古い頭は適応しにくい場合が多いのだろう。

 もはや、マスクをせずに公共交通機関に乗るなんて考えられないところまで、社会は変容しているのだ。寧ろ、マスクをしない社会は2度と戻っては来ないのではないかとさえ思ってしまう。

 けれども、襟子は彼らの言うことにも一理あると思った。テレワーク、リモートワークの是非はもう言うべき時期を過ぎているが、面と向かって同じ空気に漂う緊迫感を感じながら、時には興奮して机を叩いた振動も感じながら議論する、その充実感はやはりかけがえのない大切なものなのではないだろうか。

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  バスには若い男女も乗っていた。彼らは大学生かもしれない。近くに有名な国立の美大があるのだ。可哀想に、彼らは大学にもう半年も通学できていない。ずっとオンライン授業のはずである。

 美大生なら、大学で実際に絵を描いたり、塑像を制作したり、デッサンをしたり、実技をしっかりやりたいはずである。

 他の学部生もそうだが、リモートだけでやれることは限られているのではないだろうか。自分の大学時代のことを思い出しても、サークル活動や学祭や学費値上げ反対の集会、何気ない日常の一コマにも仲間がいた。

 仲間と笑う、仲間と話す、仲間とケンカする、それら全てが大学生活の中で、どんなに貴重で煌めく時間であるか、早く彼らにも味わってもらいたい。一日も早く彼らが日常を取り戻せるよう、襟子は祈ることしかできない自分がじれったかった。

 

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 今回は、ここまでにさせてください。一台のバスの中で、まだ多くの人々の人生が交錯して行きます。続きを楽しみにしていただければ嬉しいです😆🎵🎵。

 毎日猛烈な暑さです☀️。コロナにも熱中症にもお気をつけください❗ 芹沢マリリンでした🎵