No.78実は私、小説も書いてます❗その13

 2回目のワクチン接種が完了しました。大規模接種会場での予約制接種でしたが、申し訳ないほどの手厚い対応で、さすが日本!・・と思った次第です😊。

 会場入りしてから、出てくるまでたった30分❗スムーズすぎるほどのスムーズさでした。しかし、だからこそ残念なのは、予約制とは言いながら、どう考えても接種希望者が少ないように感じることです💦。

 もちろん、ワクチン接種は任意で個人の自由ですから、接種すべきだと言っているわけではなくて、この人員をもっと必要な場所に配置できないかということです。

 3、4ヵ月前、医療現場が逼迫した際に、自衛隊の看護官の方々が様々な医療現場で活躍されていましたが、現在は、その大規模接種会場での対処に当たっておられるらしいです。

 ニュースでは、その大規模接種会場での接種を希望する人が予想より少なくて、人員もワクチンも、宝の持ち腐れ状態ではないかという報道もありました。

 おまけに現場の医師や看護師さんたちが大勢オリンピックに動員されていますから、今の感染状況が長引けば、早晩医療現場の逼迫は避けられないでしょう。

 計画的で臨機応変な、現状に即した対応を即刻調整するような機能が作れないものかと、素人の頭では考えてしまうのです😅。

 例えば、増え続けている自宅療養者を往診するファストドクターを増員して医師の負担を軽減するとかはどうでしょう。

 毎日、これまた急激に増え続ける新規感染者への対応に奔走する保健所の職員をヘルプして、事務処理だけを担当してもらって、現場の職員の方々の感染者対応の負担を軽減させるとか、素人の浅知恵でも浮かぶことはあります。

 ニュースで、ある保健所の職員の方が「今の状況では、2日に1回、自宅療養の方に生存確認の電話を入れるだけで精一杯だ」と辛そうに言っておられました。

 政府が保健所と人員を減らし続けてきた皺寄せが、昨年からずっとこのような形で表れてきているのです。この1年半の間に、少しは待遇改善をなされているのでしょうか・・。物理的にも精神的にも、形になった改善はあるのでしょうか・・。甚だ疑問です😓。

 前代未聞のここ数日の新規感染者数をどう捉えるか、そして具体的に早急にどう対処の行動を起こすか・・社外の動向を注視したいと思います。

 前回のブログで述べたリーダーの心のこもった発言を期待したいですが、難しそうです・・。

 

⚽️⚾️🏈🎾⛳️🏃🏄🏊

 それでは、今回も私の小説「刹那~襟子」の続きをお楽しみください😄。

 

  「刹那~襟子」 第四章 『濃厚接触』続き

 一日も早く彼らが日常を取り戻せるよう、襟子は祈ることしかできない自分がじれったかった。

 

 会社員の年輩の方は柴本孝夫、五十五歳になる営業職の部長。いわゆる「たたき上げ」である。ITに不馴れゆえにテレワークの準備には少々手間取ったが、今ではリモートワークも悠々とこなしている。

 つまり、過去の栄光に囚われて新しいものにアレルギーを起こすというような了見の狭い人間ではなかった。      ただ、「営業は取引先に何回足を運ぶかで決まる」と、相手側との信頼関係を築くことの大切さを、血肉に染み込ませてきた三十年間を全て覆すような昨今の情勢には、やはりやるせない思いをしていたのも事実である。

 それまでの価値観の大幅な変換が、数年後定年退職してからも働きたいと思っていた彼の意欲を、いやが上にも削いでしまうのを、彼は忌々しい思いで感じていた。

 

 通路を隔てて座った同じ会社の後輩の方は四十一歳の佐々木尚彦。先ほどの柴本の直属の部下ということになる。

 テレワークやリモートワークには若者と同様、全くと言っていいほど違和感はないが、定年退職までまだ二十年余り、今までの実績を貯金として、惰性で過ごせる(そんなつもりは毛頭ないが)年代ではないと思っている。

 コロナ禍で会社の方針もいろいろと変わったが、合わないからと言って早期退職するにはまだ早すぎる。まだ小学生の子どもを二人抱えて、これから自分はどのように生きていったらいいのか、こんなに早く考える機会が訪れようとは思ってもみなかったのである。

 意識しようがすまいが、時代の変化の波に乗り遅れぬよう、呑み込まれぬよう、自らの働き方生き方を考えなくてはならない岐路に立っている実感が彼にはあった。

 

 襟子の一番近くに座っていた高齢の男性は、上野正義八十二歳である。彼は七十九歳の妻、美佐恵とともに、あの豪華客船クイーンサファイア号の乗客だった。

 まだ新型コロナウイルス感染がごく一部の人に限られていた頃、日本国内での感染者がまだ一桁だったあの頃、乗客のほぼ半数が感染し、死者まで出たこの船での事件は、今まで経験したことがないという恐怖からかセンセーショナルに報道された。

 誰もが憧れる長期クルーズのラストがこんな悲劇に見舞われようとは、誰が予想できただろう。長期間の船内隔離、その後の消毒作業とホテル隔離。

 それらのニュースは、日本全国のみならず世界中に報道された。PCR検査で陰性と判明した乗客がホテルからやっと帰路についた時、感染の不安のある中で、ずっと乗客の世話をしていたホテルの従業員が、バスの外に並んで見送った。手を振るホテル従業員の方々の姿には、胸の詰まる思いをした人も多くいたことだろう。

 そうやって帰ってきた乗客のうちの二人が上野夫妻だった。二人は高齢ゆえに、催されるパーティーやレクリエーションに出席せず、食事や散歩以外には自分たちの部屋からほとんど出歩かずにいたからか、二人とも検査結果は幸運にも陰性だったのだ。

 二人にとって、この豪華客船での船旅は人生最後の思い出作りだった。普通の会社員と専業主婦のごく普通の夫婦にとって、船旅は夢だった。

 その夢の実現のために、普段の生活を切り詰め贅沢をせず、何年も前からその日のために苦労を厭わず生活していたのだ。

 ところが、陰性という判定が降りたにも関わらず、しばらくは見送ってくれた家族にも会うことができなかった。お土産も渡すことができなかった。

 会ってくれなかったわけでも、受け取ってくれなかったわけでもない。得体の知れないウイルスゆえに夫婦が遠慮したのだ。もしもの感染を避けようとして・・。

 ところが実際はもっと大変だった。近所の人からも避けられた。スーパーに買い物に行っても、陰でこそこそ噂されているように感じた。

 趣味の碁会所にも行かなくなった。回覧板も回って来なくなった。とうとう道を行く人の話し声も気になるようになり、庭の花の世話もできなくなった。手入れの行き届いていた庭の花々は、夏を待たずに枯れた。

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 そのうちに時をおかずして引きこもりがちだった妻が認知症を発症してしまう。夫のことはかろうじてわかるが、日常生活に支障が出だした。

 まず食事の支度ができなくなり、歯磨き、入浴、着替えも夫の介助なしには不可能になった。娘が二人いるが、二人とも離れた県に生活の拠点があり仕事もしていて、それぞれの家族をおいて介護を頼むわけにはいかなかった。

 もとより、娘たちに負担をかけるつもりはなかったし、夫は自分が健康ならまだなんとかなると思っていた。

 ところがある日、ご飯と味噌汁と卵焼きの朝食(夫が作ったもの)を前に、じっと黙ったまま微動だにしない妻を見て夫は悟った。とうとう「食べる」ということが理解できなくなったか・・と。

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 今回は、ここまでにさせていただきます。切ない終わり方ですが、次回の続きの展開を楽しみにしていてくだされば幸いです。

 コロナ禍は今までにないひどい状況を呈しています。どうかご自愛ください。芹沢マリリンでした🎵