No.86「護られなかった者たちへ」を観ました❗

 先週末、「護られなかった者たちへ」という映画を観ました。瀬々敬久監督の映画です。ずっと放映を待っていました🙋。

 東日本大震災から9年後が舞台です。あの未曾有の災害がようやくドキュメンタリーではなく、映画として表現される時期がきました。

 原子力発電所の被害や、そこで働く人たちの映画は少し前に放映されましたが、社会の片隅に追いやられていた弱い立場の人たちの震災後の姿にスポットを当て、容赦なく描いた映画は、私は観たことがありませんでした。

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 震災後、独り暮らしの老女と、両親を失くした少女、津波に飲まれていく少年を助けられなかったことがトラウマとなって、社会に馴染めなくなり犯罪者となってしまった青年が出会い、小さな家で肩を寄せあって生活することになります。

 少女はのちに養女となって心ある家族にもらわれていき、青年は自立します。再び独りになった老女は、食べるにも事欠くようになり衰弱していきます。

 その様子を知った二人は、老女に生活保護を受けさせようと、役所に連れて行きますが、役所も激務の中で余裕がなく、手続きも思うようにいきません。

 老女は、「お国のお世話になるのは申し訳ない。」と固辞しました。それでも、生活保護は必要な人には権利なんだと青年が説得し、一旦は申し出が通ります。

 ところが、生活保護を受けるには、親戚などの身内に、本当に保護が必要なのか問い合わせが必要なのです。老女は、幼い頃に養女に出して、親子の名乗りもしていない娘に自分のことが知られて、迷惑をかけるのは絶対に避けたいと、生活保護を辞退してしまいます。

 それからしばらくして、なんと老女は餓死してしまうのです。そこから、復讐劇が始まってしまうのですが、なんとも胸の詰まるストーリーでした・・・。

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 役所の人が悪いわけでも、老女が悪いわけでも、青年が悪いわけでもありません。強いて言えば、弱い立場の人たちに行き届かない、社会の仕組みに問題があるのだと思います。

 ストーリーの流れには「えっ?」と思うところもなきにしもあらずですが、そういうところにスポットを当てたという点で、この映画は素晴らしいと私は思います。

 生活保護の身内調査に関しては、ずっと前から違和感を感じていました。その調査をしなければ、不正受給が増えるのかも知れませんが、その調査があるかぎり、受けたい人が受けられない状況はなくならないだろうと思ったからです。

 東日本大震災後だけでなく、コロナ禍でも、生活が困窮している人は大勢います。年輩の人だけでなく、若い人でも、無料の食品配布の列にたくさんの人たちが並びました。

 日本の社会は、そういう人たちに優しい社会でなくてはならないと思います。日々の生活の困窮や命の危機にこそ敏感に反応する社会であってほしいと思うのです。

 これから新しい生活を始めようとしている若者や、一生懸命勉強している学生さんたち、無邪気に遊ぶ子どもたちに対して、社会は弱い立場の人に優しいんだと、社会の未来は明るいんだと、自信を持って伝えられる大人でありたいと思っています。

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 この映画は、俳優陣も素晴らしかったです!主演の阿部寛はもちろんのこと、脇を固めた賠償美津子を始め、緒方直人や永山瑛大、吉岡秀隆もさすがの味を出して好演でした。

 そして、この映画を観た理由の一つでもある、佐藤健が本当に良かった❗私は彼のファンで「るろうに剣心」は全部観ました❗私の中では「たける」の映画は一応全部観ないといけないことになっているのです(笑)😄 

 今度も「たけるを観なくちゃ!」と思って出かけたのです(笑)😆。有名な泥水を飲むシーンも凄かったですが、最初のシーンからの彼の首の角度に驚きました❗    拗ねたような、世の中からはみ出たような、社会に対して斜に構えたような彼の思いは、全て一目瞭然、彼の前傾した首の角度に如実に表現されていたのです‼️

 やはり「たける」は凄い役者でした🎵これからも、彼から目を離せなさそうです(笑)😁(ただし、逃亡して走るシーンに、「るろうに剣心」で見せた運動神経の良さが出過ぎていたかも・・(笑))。

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  コロナ禍を描いたドキュメンタリー映画ができたことを、今日の夕刊で知りました!TV番組やニュースでは何度も放映されていましたが、とうとうドキュメンタリーですが映画として封切られました!

 宮崎伸恵監督の「終わりの見えない闘いー新型コロナ感染症と保健所」という、コロナ禍の保健所を主な舞台にしたドキュメンタリー映画です❗

 待っていました!いつかこの2年間のコロナ禍が映画になるはずだと・・・。

 周知のごとく、緊急事態宣言下で保健所の業務は逼迫していました。数年かけて、政治が保健所を統廃合し、減らしてきた弊害が、はからずもこのコロナ禍で顕在化したのです。

 何度も何度もニュースで取り上げられ、特にこの第5波では、入院させるか否か、延命措置をするか否かという、命に直結する判断まで委ねられたこともあった保健所の様子を目にしました。

 そして、そんな過酷な状況の中で、保健所の方々は献身的に「終わりの見えない闘い」に取り組まれました。そこから見えてくるものを私は感じてみたいのです。

 まだミニシアターでの上映ですが、機会を作って是非観に行きたいと思います。

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   ドキュメンタリーではなくストーリーとしてコロナ禍を描いた映画が出来上がるまでには、まだもう少し時間がかかるでしょうか。

 以前ブログで、まるでコロナ禍の予言のような、2つの映画のことを紹介しました。一つは小松左京原作の「復活の日」。もう一つは「コンディション」というアメリカの映画です。

 どちらも、コロナ禍が起こる前から、私の深層心理にしっかり根付いていた映画です。「復活の日」においては、もう40年近く前の映画です。

 それにも関わらず、コロナ禍が始まったとたん、脳裏に浮かびました❗書店に「ペスト」と並んで原作が平積みされ出したのは、それからうんと後のことです。思わず「私ってスゴイわ!」と自画自賛したくらいです😃。

 「コンディション」に至っては、TSUTAYAで数年前に発掘し、何となく観て知っていた映画です!YouTubeやネットフリックスでもだいぶ騒がれましたから、観られた方も多いと思いますが、びっくりするほどこの間の2年間のコロナ禍の様相とそっくりです❗

 感染の原因から感染爆発までの経過、消毒や3密を避けるなどの予防策、ワクチンを巡る問題など、本当に監督は預言者としか思えません💦。

 あまりにも現在の状況と酷似しているので、恐ろしいくらいです。唯一、もっと描き込んで欲しかったのが(どこから目線?)医療現場の大変さでした。

 コロナ禍は、現在は新規感染者が減って、医療崩壊の声もあまり聞かれなくなってきましたが、死者はやはり毎日出ており、後遺症に悩む人も後を絶ちません。

 私たちの生活も大きく変わり、もはやコロナ前には完全には戻れないでしょう💦。マスクのない生活はもう戻って来ないかもしれません。

 医療関係者の一部には、年末年始の人流の影響で、また一万人を越す感染者が出るかも知れないと警鐘を鳴らす人もいます。

 この間のコロナ禍の2年間は、当然映画になってもおかしくない、様々なドラマが展開されました。悲惨な状況ももちろんありますが、後世に遺すべき人間の強さや素晴らしさも、数限りないエピソードとして語り継ぐべき日を待っていることと思うのです。

 辛い経験をされた多くの方々には、こんな言い方は申し訳ないとは思いますが、やはり映画というメディアを使って、広く語り継ぐべきことだと私は思うのです。

 あと何年かかるかわかりませんが、それが社会に出る日を心待ちにしたいと思います。心に刻まなくてはならない、けっして忘れてはならない、歴史の一コマとして私たちの目の前に出現する日を。

芹沢マリリンでした🎵

No.85 お久しぶりです😆🎵生きてます❗

 前回の「実は私、小説も書いてます❗その19」を発信してから1ヶ月半もご無沙汰してしまいました💦。もう芹沢マリリンはブログをやめたのか?はたまた病気?・・・いえいえ、すこぶる元気でございます(笑)😁

 なぜに再び発信することになったのか・・それは全くの偶然、「時の流れがなせる業(わざ)」とでも言いましょうか🌠。「時間」とはまことに優しいもので、人の心をしなやかにしてくれます。

 悲しみを和らげ、憎しみを薄れさせ、楽しかったことや幸せだったことだけを時空を越えて再現して見せます✨。だから人間は、したたかに生きていけるのでしょう。

 ただ、記憶によっては、かなり長い時間を要することもあります。それでも10年も経てば、どんな心の傷にも一定の(もちろん個人差は大いにありますが)治癒が訪れるものです。

 瘡蓋(かさぶた)が傷を保護し、いずれほんの少しの、目を凝らさなければわからないほどの傷痕を残すだけで、完全に消滅するものもあります。

 しかし、瘡蓋がまだ完全ではないのに無理矢理剥がしてしまった場合は、また微量の出血を繰り返すこともあるでしょう。そうなれば、治癒には更に長い時間がかかり、傷痕も複雑に絡み合う様相を呈する可能性もあります。

 けれども、それは全て運命。どうしても避けられるものではありません。自然に任せるしかないのです🌌。無人島で独りで住もうが、山奥に籠ろうが同じ。その避難行動そのものが、避けられない事実を露呈してしまいます。

 自然に任せるしかありません。時間を味方にして、時の流れに身を委ねましょう。それが自らを守る術(すべ)だと、近頃の私は思っています🎇。

 

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 滋賀県の美味しいお米「ミルキークイーン」を5年ほど前に知ってから、ご飯の味がわかるようになりました(遅っ!)🍚。

 普通に食べて、普通に仕事をしているのに、歳のせいか代謝が悪いのか、生まれて初めて腰痛というものを経験しました💦。

 一応定年退職はしていますが、まだまだ仕事はしていたいし、コロナが収まれば大好きな海外旅行✈️👜にも行きたいので、足腰は大事❗絶対にあと何十年も歩いていたいので、ようやく決心して整形外科を受診しました。

 レントゲンも撮って、そしてお医者様に言われたのが「5キロ痩せなさい。」でした💧💧💧💧💧そんな無茶苦茶な・・・💦。

 たった1キロ減らすのにどれほど苦労するか、どれだけストレスか、わかって言っているんでしょうか💥。

 私は自分ではけっして太ってはいないと思っています。確かに二十代の頃よりは10キロと少し体重は増えましたが、そんなの普通でしょう(笑)💥。だって二十代は7号着てたんですから・・。

 ・・・しかし、よく考えて実感しました!確かに最近撮った写真は、自分の持っていたイメージとは大きく違ってきている❗このままではヤバい❗・・と。  

 今より本当に5キロ痩せたら、確かに今より美しくなれるだろうし、腰の痛みも消えるだろうとから美容にも健康にも良いのは疑いようがない❗

 こうと決めたら私はなかなかガンバるのです(笑)😃 今は10月の半ば。あと2ヶ月で3キロは落とします(この目標なら健康的)🙋。そして、腰の痛みから解放されるのです(大声)‼️

 ブログで発信した以上、やりきるつもりです。途中経過を報告します。かなりの努力が必要なのを自覚していますがガンバります😃。

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  さて、今回は最近のTV番組について一言お話したいと思います😃。10月は番組改編期ですから、いろいろ新しい番組が出てきましたね。以前もお話ししましたが、私は無類のTV大好き人間です😆🎵。

 それにしても、最近地上波で面白い番組が見つからないように思うのですがいかがですか?新聞のTV欄を見て、朝からガックリ来ています。

 訳のわからないバラエティーや若い人が主役のドラマは観る気が起きません。ニュース番組は一応チェックしていますが、同じニュースを同じ切り口ばかりで報道していて退屈でチャンネルを変えてしまいます。

 骨のある2時間ドラマやドキュメンタリーはめったにありません。TVを若い人はあまり観ないのだから、私のようなアダルティーな層にもっと焦点を当てればいいのに・・と思ってしまいます。

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 では地上波では何を観ているか?

 以前よく観ていた「相棒」シリーズも始まりましたが、何となく雰囲気が違っていて、入り込めませんでした💦。

 何歳になっても上品で透明感脳ある大好きな沢口靖子主演の「科捜研の女」も観ましたが、アメリカのサスペンスドラマに比べたらペースが遅くて、どうも馴染めませんでした💦。

 でもこの2つの番組は、以前ブログでも述べたように、基本大好きなので、これからもチェックはしておこうと思います😃。

 「ドクターX」も再開しましたね!コロナ禍を意識した内容は興味をひかれました。シナリオが社会の現状を反映していて面白いのですが、第一回ゆえにいっぱい詰め込みすぎた感が否めませんが、「私、失敗しないので。」は私も目指すところなので、続けて観ます❗

 強いですね、この番組(笑)😄。大好きなモデルの冨永愛も出ていたのがスゴイ! 今女性が誰を好きなのか、番組製作者はわかってますね~❗

 冨永愛といい米倉涼子といい、日本人離れした素晴らしいプロポーションと筋肉質の長い脚を観ているだけで気持ちがいいのです🎵

 ニュース番組では「報道特集」の切り口が秀逸で、他のニュース番組にはない位置を占めていると私は思います。あくまでも『一つの切り口』として距離を保って観ているつもりですが・・。

 NHKBSプレミアムの「美の壺」も大好きです🎵オープニングの映像が素晴らしく洒落ていて、美術館に来たような感覚になります😏。ナビゲーターの草刈政雄が好きだというのも理由の一つです(笑)。

 「伝統をまとう 祗園の舞妓」「伝統を味わう 蕎麦」「木造建築 匠の技」「スイーツの芸術 パフェ」「日本の原風景 古民家」「光と風の物語 窓」などの回は、リアルタイムで観ても録画をして置いておきたい美しさです😆🎵。あぁそうそう、「花束💐」の回も綺麗でした❗

 しかしながら10月からは不定期らしく、録画をしないと見逃しそうです😓。

 BSでは、この間、ニコラス・ケイジキアヌ・リーブスの映画を立て続けにやっていました。「バンコク・デンジャラス」や「ジョン・ウィック」シリーズは、さすがに一見の価値ありですが、バイオレンス場面が多く、R15か18です。

 そういう番組がない時、仕方がないのでTVでYouTubeを観ます。主に、旅行番組(無職旅など)か、映画紹介(タイラーチャンネルはテンポが良くて、オススメ)を主にチェックしています。しかし、観すぎると飽きるんですよね~💦」

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 すると、どうしても帰って来るのはCS。以前ブログでも述べたように、私はCSの海外のサスペンスドラマベビーウォッチャーなんです❗

 もちろん「クリミナルマインド」第一‼️最高に面白いです😆🎵🎵。とうとうファイナルシーズンが始まってしまいました😂。この番組が終わってしまったら、大きな楽しみの一つがなくなってしまいます😭。

 でも大丈夫❗再放送をさんざんやってますから(笑)。今はシーズン10の再放送の録画を毎日2話ずつ観てから眠りにつきます(笑)😁。それほど夢中です❗詳しいことは、私のブログのバックナンバーをご覧くださいませ🙋。

 私が十数年前に欧米のサスペンスドラマにはまるきっかけになった「CSI科学捜査班」の再放送は、CSで一日中やっています。「困った時のCSI」は私の合言葉(笑)😆。「アニマルプラネット」もはまります(笑)😷。

 海外の番組は英語の勉強もの兼ねて字幕版を観ます。英会話の自主勉強を初めて2年。簡単な言い回しなら、字幕がなくてもわかります。寧ろ字幕が邪魔なくらいです(笑)😄。

 ただし、murder(殺人)とかcrime  scene(犯罪現場)とか、serial  killer(連続殺人犯)とか、物騒な単語が多いですけど・・(笑)。

 

 まぁ何でも、余暇を過ごす好きなものを持っているというのはいいことだと思います。日常はやることが多すぎて忙しいですから、意図的に脳を弛緩させる必要があります。

 「非日常」は大切❗生きていく上で必須です。緩むところがあってこそ、いざというときにキリリと集中してガンバれるのだと私は思います。

 さて、久しぶりにブログを発信して、お腹がすきました(笑)。使いすぎた脳が糖分を欲しています。でもガマンガマン・・。私は「おやつは一週間に一回!」と決めましたから(笑)!。

 別のことでストレス発散します🙋。それでは皆様、お身体を大切に☀️次回は、今読んでいる、平野啓一郎の「ある男」について書いてみようかと思っています。

芹沢マリリンでした🎵。

 

 

 

 

 

 

No.84実は私、小説も書いてます❗その19

 皆さまお元気ですか?コロナの新規感染者数は毎日過去最多を繰り返し、重症者の数もわかっているだけで二千人に近づいています。

 東京都を始め、大都市では医療現場が逼迫し、世界的にも安全なはずの日本で、入院できずに自宅でなくなる方々が出ています。

 昨日は、五十代の男性を高齢の両親が見送る・・という、今まであまりなかった構図の、悲惨な状況が報道されていました。

 まだまだ若く未来のあるはずのその患者さんは、今の逼迫した医療現場の様子でなかったら助かった命かもしれません。

 ニュースの画面で、医師の問いかけに「はい。」と、それでもしっかり答えておられた患者さんが、受け入れてくれる病院がなかなか見つからなかったために救急車からまた自宅に戻され、次の日、ようやく見つかった病院で亡くなってしまう・・そんなことが今の日本で起こっているのです。

 訪問医師の方や、救急隊員の方の、なんとも言えない辛そうな様子にも、私は涙がこぼれてしまいました。

 これが文明国日本、先進国日本、オリンピック・パラリンピックを開催できる力のある日本という国の首都東京での現実です。

 とにかく早く、できることは何でもやってほしいと思います。どんなことをやるべきなのかは、今まで何度も語ってきました。1市民として私にできることは少ないですが、感染しない、感染させないためにできることは何でもやっていこうと思っています。

 政府が、この2年間の政策の誤りや失敗をきちんと総括し、そこから導かれる正しい政策に則って、次に訪れるかもしれないパンデミックにしっかり備えるようになるのは、いったいいつまで待てばいいのでしょうか。

 医療機関や医療従事者の充実、保健所の人員配置と規模の拡大、医療研究機関のワクチン研究への推進対策と援助などは、今の状態が落ち着いてからでなく、すぐにでも始めてもらいたいと思います。今までしてきたように、こういうところの予算を減らすことは、今後はあってはならないことです。

 またその前に、このコロナ禍で被害を受けたち行かなくなった事業者への援助も必要です。

 

 マスクをはずして、仲間と楽しく語り合える日々、大好きな海外旅行に自由に行ける日々は、いったいいつになったら訪れるのでしょうか・・。

 

 

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 それでは、今回が最終回になるかもしれませんが、私の小説、「刹那~襟子」をお楽しみください🙋。

 

 「刹那~襟子」 第四章『濃厚接触』続き

 まるで胸を鋭利なナイフでえぐられたような強烈な痛みだ。襟子はそのまま湯船の中に落ち込むしかなかった。胸を押さえ、うずくまって痛みを逃がそうとしたが徒労に終わり、次に襲ってきた症状に襟子は一瞬にして平静を失った。

(息が、息ができない・・。)

襟子は命の危険を感じた。

(落ち着け、落ち着け!)

我が身を必死で励ます。

 混乱して、激しく早い息をしようとした襟子は、全く空気が入ってこないのを感じて血の気を失った。このまま息ができないままなら確実に自分は死ぬ。呼吸困難で1、2分で死ぬ❗

 ・・襟子は冷静に小さな浅い息を意識的にしようと試みた。まだ死ぬわけにはいかない!死にたくない!

 かすかに空気が入ってきた。肺に送られた空気が、微々たる酸素を体に送ろうと四苦八苦しているのを感じる。しかし、それは充分ではなく、胸の痛みも取れなかった・・。

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 コロナに感染して肺炎になり、呼吸が満足にできなくて酸素吸入を受けたり、人口呼吸器につながれた患者の映像をニュースで何度も見た。

 その時は(苦しそうだなぁ、息が吸えないなんてどんなに辛いだろう・・。)とは思ったが、そんなものではなかったことを、襟子は我が身で知ることになったのだ。

 水のないプールで溺れるような、空気のない宇宙空間に放り出されたような、いかんともしがたいこの苦しさ・・、肺がしぼんだままで空気を取り入れられずに、へこんで上下が密着した水風船のようになったままなのを、襟子は悪魔に掴まれた胸の強烈な痛みで知ることになる。

 (私は患者の苦しさを何もわかっていなかった。この苦しさが何日も続くなんて・・。治るかどうかわからない、死ぬかも知れない恐ろしい不安の中で、ただ空気を酸素を欲している辛さなんて、何一つわかっていなかった・・。)

 意識が朦朧としながらも、ここで失神するわけにはいかないと、襟子は確かに感じる痛みにすがるのだった。痛みを感じている間は私は生きられる。もしも気を失ったら、本当に危ない!

(2階にいる夫に知らせなくては。)

 心臓発作、くも膜下出血心筋梗塞パニック障害・・同年代の友人知人が罹患した(または急死した)病気の名前が襟子の脳裏に浮かぶ。

(いやだ!死にたくない!)

叫ぼうとしたが、いや叫んだつもりだったが、喉が痺れて声が出ない!それでも襟子はあちこちに体をぶつけながら湯船から何とか這い上がり、浴室の外に出ようとした。

 肺には、相変わらず普段の十分の一ほどの空気しか入ってこない。それでも、襟子は冷静に小刻みな呼吸をなんとか繰り返しながら、肺をなだめすかして動かそうとする。

 その時、自分の手足を見て、襟子はわが目を疑う。襟子の両手の指は、奇妙に外側に反り返って曲がり、まるでよく絵で見る魔女の指のように引きつりながら空を掴んでいたのだ。

 そして、更に驚いたのは、中指と薬指の形状だった。それらは、自然にはしようと思っても決してできない異様な形で絡み合っていたのだ。

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 襟子は肘で浴室のドアを押し開け、立ち上がろうとした。ところが、襟子の両足の指は一様に内側に歪み、自分の意志では押してもできない様相を呈して、土踏まずの方に折れ曲がっていたのである。

(死ぬかも知れない・・。)

 「死」は、やはり近くにあった。今まさに自分も、その暗い穴の中に引きずり込まれようとしている。自分の意思に反して。

 心身ともに健康で、普通の生活を営んでいるはずの自分にとっては、遠い存在であるはずの「死」が、やはり気付かないうちに、すぐ近くで時期を待ちながらじっと息を潜めて存在していたのだ。✨✨✨✨✨✨✨

 襟子は死にたくなかった。生きていたかった。生きてやりたいことがまだまだあった。

(死にたくない!生きたい!)

 声にならない声を絞り出しながら、襟子は壁を叩いた。自由にならない手を手首からそのまま壁に叩きつけて、裸のまま廊下に這い出した。

 ただならぬ物音に驚いて、階段を駆け下りてくる夫の足音を耳に間遠に感じながら、今まで意思に反して固く反り返っていた自分の体が、ようやく弛緩していくのを、襟子は深い息をしながら実感していた。

(助かった・・。) 

 襟子の目尻に涙が溢れた。温かいバスタオルでくるまれ、夫に何度も声をかけられて、襟子は生きている実感が胸いっぱいに溢れるのを静かに甘く味わっていた。

 

 時に「死」を近くに感じ、寧ろ「死」に取り込まれそうになっていた自分。一瞬の違いで「死」をすり抜けて来たと思っていた自分。刹那の運命の波に否応なく流されていくのを遠くで傍観していたかのような、自分の意思を持たない自分・・。

 襟子は、自分というものをそう捉えていたのかもしれない。しかし、それは鏡に写った虚像だった。「死」を思うことは「生」を思うこと。「死」を考えることは「生」を考えることなのだ。

 襟子は生きたかった。生々しく傷ついても、醜く汚れても、それでも生きていたかった。襟子は誰よりも「生」に執着していたのだ。

 何が起こるかわからないこの世界で、生きている人たちそれぞれの生き方が、生々しく交差し影響し合う、そんな刹那の集合体の中で、それでも襟子は生きていくだろう。したたかにしなやかに、彼女はこれからも生きていくのだろう。

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 しばらくして呼吸も落ち着き、頬に赤みも差してきた襟子は、綺麗にマニキュアを施し、手入れの行き届いた自らの指を見つめた。それはもう魔女のそれではなく、紛れもない襟子の指だった。

 襟子は愛おしい自分の体を自分で抱き締める。この十数分間をリセットするように、襟子は再び立ち上がった。足の裏がしっかり床を掴んでいる。夫は心配して言葉をかけたが、襟子の力の戻った瞳と笑顔を見てそれ以上は止めなかった。

 思いっきり熱いシャワーを浴び、長い髪をその飛沫の中で何度も手櫛ですいて、襟子の頭はたちまち鮮明になった。口を開けてシャワーを浴び、少し咳き込んだが、頭を上げると気持ちが引き締まった。

 上目遣いから顎を挙げて視線を下げた、鋭い目をした自分が、鏡の中でかすかに唇の端を引き上げる。力の戻った瞳が、鏡のだ中から不敵な笑みを浮かべている。

 襟子はふと、唇の端に赤い点を見つけた。少し噛んでしまっていたらしい。苦い血の味がかすかにしたが、襟子はそれをごくりと飲み込むのだった・・。

                  fin

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 とうとう私の小説「刹那~襟子」のアップを終えてしまいました❗今までブログ19回に分けてアップしてきました。途中から読まれた方は、よろしかったら最初から読み直していただけたらありがたいです😭。

 今はほっとしたような淋しいような複雑な気持ちです😅。また何か書きたいことが見つかったら、文字を連ねてみようかなと思います。読んでくださって本当にありがとうございました😆。

 今コロナ禍は前代未聞の危機的状況です💦。どうか皆さま、ご自愛ください❗芹沢マリリンでした🎵

 

 

No.83実は私、小説も書いてます❗その18

 コロナの新規感染者数が全国で1日2万人を超える日もあり、重症者数もどんどん増えて、前代未聞の危機的状況になっています。

 その上、医療現場が逼迫し、入院の必要な患者が増大して、宿泊施設や自宅で亡くなる方も増えています。そういうニュースを見るたびに、胸が締め付けられるようです。

 私の家の近所でも、9月12日の緊急事態宣言解除?まで休業する商店が増えてきています。廃業した商店もあります。

 そういう状況でありながら、相変わらず街には人が溢れていて、コロナに関するニュースが少なくなり、「慣れ」の様相が見られるように思います。

 若者への感染が増大し、重症者も増えて、感染者数も今までの最多を、多くの自治体で数えているのに、私はこの「慣れ」は、本当に無視できない状況だと危機を感じています💦。

 

 こんな状況なのに、なぜまだ大規模医療施設が設定されないのでしょう⁉️中国のように、10日間で千人規模の大病院を建造せよと言っているわけではありません。

 今ある体育館でも、ワクチン接種に使っている大型施設でもいいから、パーティションで囲ってベッドを入れて、医療従事者を配置して、せめて自宅療養せずに医療の手が届く状態にできないものでしょうか。

 ファストドクターに訪問してもらうより効率的で、家族への感染も避けることができるのに・・と私は思います。

 パラリンピックは素晴らしい取り組みですが、そのために医師や看護師が100人以上動員されます。それだけの医療従事者が医療現場にいてくれたら、どれだけの人の命を助けることができるだろうと私は考えてしまいます😥。

 今はどんなに気を付けていても、誰でも感染する可能性があるような状況です。離れ小島や山奥の一軒家にこもっていなければ、誰にでも危険性があります。

 若い人は重症化しないと言われていましたが、そうではない状況になってきました。たとえ軽症で済んでも、後遺症に苦しんでいる若い人も大勢います。

 感染しないことが大切です。でもそれは大変困難なことです。他人事ではありません。自分や自分の家族が感染したときのことを真剣に考えなければならないところまで、状況は悪化していると私は感じています。

 地方自治体は、一人一人の国民に近いためか、首長たちから切迫したメッセージが流れています。ところが、国や政府の動きが遅いように見えてなりません。この一年半ずっとそのように私は感じています。

 今日の「報道特集」では、『自宅療養者と命の選別』

が放映されていました。自宅訪問されているドクターは、この状況を「自宅療養」という名の「放置」だとおっしゃっていました。

 危険な医療現場で、本当に献身的に働いておられる医療従事者の方々の姿には、頭が下がります。涙なしに見ることができません。

 

 「慣れ」は、人間に与えられた、命を守る適応能力です。しかし、ことコロナに関しては「慣れ」は危機管理能力の減退につながります。

 今最悪の状況だということをしっかり自覚して、「慣れ」てしまうことをなんとしても避けなければ、救える命も救えなくなるのではないかと私は思います。

 

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 それでは今回も、私の小説「刹那~襟子」の続きをお楽しみください。

 そろそろラストが近づいてきました。ブログ19回に続けてアップしてきました。さて、どんなラストになるでしょうか・・。

 

 「刹那~襟子」 第四章 濃厚接触

 バスは、慎重に、しかし急激に速度を落とし、バス停ではない路肩に急停車した。バスには緊急時の通報マニュアルがあり、運転手はそのボタンを押したと見えて、パトカーのサイレンはもうすぐ近くに聞こえる。

 間もなく警察官が数名バスに乗り込み、運転手が数名バスに乗り込み、運転手から簡単に事情を聞くと、床に寝転んだままの若者を起こして連行していった。

 若者はうなだれ、抵抗することもなく静かに従った。二人の会社員も別の警察官に促されて一度はパトカーに乗ったが、事情を聞かれてすぐに降ろされた。

 中年女性は、大事を取って、あとから来た救急車に乗せられ病院に向かった。

 襟子は思った。あの泣いていた若者にも、何か事情があったのだ。単なるマスクをするしないのこだわりではなく、こういう時節にマスクのことすら忘れさせるような、何かもっと大きなものが、彼の心を占めていたのではないだろうか。

 そしてそれは、きっとあの若者にとっては、人生を左右するかもしれない大きな存在だったのだ。そうでなければ、彼のあの涙の理由にならない。

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 襟子は切ない思いでいっぱいになった。コロナ禍で誰もが精神的に大なり小なりストレスを感じている。それゆえに、本当の親切心で動いたあの中年女性のような行為も、素直に受け取れないこともある。 

 また、自分さえ良ければというエゴイズムに支配され、普段ならもっと冷静に想像力を働かせて判断できるようなことを、突発的に考えもなくやってしまうこともあるのではないだろうか。

 例えば、感染者を責めてしまうようなことを。えてしてそういうとき、本人は良心や正義感でやっていると信じているので始末が悪い。

 この何ヵ月かのコロナ禍は、人々の生活レベルの差を浮き彫りにしてきた。富める者とそうでない者の差を、より大きくしてきたとも言える。

 襟子の会社を含め、多くの職場はコロナ禍のために大打撃を受け、倒産、失業は莫大な数に上った。その影響は、様々な形で人々の生活に影を落としている。

 また襟子は、被害者にも加害者にもなりうるという、この新型コロナウイルスの理不尽さに暗澹たる思いになるのだ。

 どんなに気を付けていても、いつ自分が感染するかも知れず、いやもう感染しているが無症状で、知らず知らずのうちに、感染を広げてしまっているかも知らない。

 ワクチンがまだ実用化されておらず、PCR検査がまだ一般人にとって『誰でもいつでも何回でも』受けられる状態ではない以上、ある意味自分自身に対してさえ疑心暗鬼のまま、日々の生活を営まねばならないのが実状なのだ。🌠(この原稿を書いたのは昨年の9月なので状況は、現在と異なります)

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 そのバスに乗車していた全員が事情聴取を受けたあと、もしもその内の誰かがコロナに感染していた場合、図らずも濃厚接触者となったかもしれない危惧のため、乗客の要望もあり全員がPCR検査を受けた。

 結果は後日知らされたが、襟子は陰性だった。他の乗客たちの結果は当然知らされず、咳をしていたあの若者も、陽性だったかどうかはわからないままである。

 たまたまその時間のその一台のバスに偶然乗り合わせただけである。いつどこで、どんなことに出くわすか、いったい何が起こるのか、誰にも予想することができない。

 襟子が、もしもタクシーを使っていたら、その次のバスに乗っていたら、こんな事件には遭わなかったのである。

 そのバスを一瞬で乗り損ねることだってあり得るし、運良く?一瞬早く乗り込んでしまうのとだってあり得るのだ。

 一瞬に翻弄される人間、そういういくつかの人生が、偶然ある一点で交差した時、抗うのことのできない弱々しい人間たち。交錯する刹那の集合体の中で、人はそれでも生き抜いていくことを情け容赦なく要求される。

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 心も体もくたくたになって、襟子はようやく家に帰りついた。とにかくシャワーを浴びて体と心を休めようと思った襟子は、バスタブにぬるめの湯を張って体を沈めようとした。

 その時だった!今まで感じたことのない胸の痛みが襟子を襲った。肺や心臓にも持病はなく、胸の痛みなど、この時まで感じたことがなかった。💥💥💥

 まるで胸を鋭利なナイフでえぐられたような強烈な痛みだ。襟子はそのまま湯船の中に落ち込むしかなかった。胸を押さえ、うずくまって痛みを逃そうとしたが。徒労に終わり、次に襲ってきた症状に、襟子は一瞬にして平静を失った。

(息が、息ができない・・)

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 今回はここまでにしたいと思います。もうすぐラストなのが淋しい感じです(笑)💧💧💧💧💧

 次はどんなことを書こうか、最近ローラー読みしている角田光代さんのエッセイを読んで、考えてみようと思います🙋。芹沢マリリンでした🎵

 

 

 

 

 

No.82実は私、小説も書いてます❗その17

 戦争が終わって76年経ちました。今は亡き母は10歳で、父は14日歳で終戦を迎えています。戦争を経験した両親は、贅沢なことは一つもせず、倹約と節約を重ね、慎ましやかな生活と生き方のまま、八十数年の一生を終えました。

 お金を使ったとするならば、私と妹の学費ぐらいです。そういう生き方は、戦争を経験した年代の人たちには多いのではないでしょうか。

 食べるものも充分になく、生きるか死ぬかという危険がすぐ近くにあった子ども時代を過ごした年代の方々には、多かれ少なかれあり得ることだと私は思います。

 父は、終戦の年に中学3年生で、卒業したら特攻隊に志願すべく準備を整えていたのだと、生前よく話してくれました。

 「特攻隊」・・特別攻撃隊です。どこが特別かというと、「お国のために命を捨てる覚悟で、片道のガソリンしか乗せていない零戦闘機で出発し、敵艦か空母に突撃して死ぬ使命だから」です。

 父は、戦争中の9年間の義務教育の成果で(もちろん皮肉で言っています!)、そういう考えを疑いもしないように育っていた少年の一人でした。

 ところが1945年8月15日に戦争は終わりました。父の誕生日は8月31日で、まだ15歳になっておらず、(幸運にも)特攻隊入隊の日を迎えることができませんでした。

 だから、私がここにいます。生きています。私の子どもたちも生きています。3人の孫たちも生きているのです。

 戦争をせずに日本は76年平和に過ごすことができました。しかし、これからどうかはわかりません。もしかしたら、戦争への道を知らぬ間に進み始めているかもしれません。

 両親も祖父母も言っていました。「戦争はいつの間にか始まってたんだよ。何か変だ・・と思っているうちに知らない間にね。」と。

 油断してはいけないと私は思います。今の社会や政治の流れが、絶対に戦争に繋がっていかないよう、目と耳を敏感にしておかなければならないと、私は自分に言い聞かせています。

✨✨✨✨✨✨✨✨✨

 

 話は変わりますが、私の読書は方法は特殊で、そのことは以前、ブログのNo.14~No.16「私の読書は作家ローラー読み❗」でもお話ししました。

 「気に入った一人の作家の作品を片っ端から読む」・・というやり方です。今までにこのやり方で読み尽くした(大袈裟ですが、詳しくは私のブログをご覧ください)作家群の一部を列挙してみます。

 読書遍歴を公にするということは、「自分の頭の中を白日のもとにさらす」・・ということにもなるので、まぁまぁかなり恥ずかしいことではありますが、それ以上に、こうして文章にすることが楽しいので書いてしまいます(笑)😄。

 この約30年間なら、・宮部みゆき貴志祐介宮本輝高樹のぶ子小池真理子渡辺淳一大崎善生白石一文篠田節子松本清張小松左京村上龍辻仁成原田マハ平野啓一郎など。

 小説以外なら、・黒川伊保子中野信子酒井順子吉田修一なども次から次と読みました。

 「作家ローラー読み」なので、私の家の本棚は、書店のように(言い過ぎ(笑))、作家ごとに並んでいます。ここまで整頓できたのは最近ですが、なかなかに楽しい作業でした😁。

 そこで、最近、新しい作家(有名な方なので、今さら・・と思われるでしょうが)が増えたんです❗今、作品を夢中で読んでいます。

 その人は角田光代さんです。今までにも、小説なら「対岸の彼女」「八日目の蝉」「紙の月」「坂の途中の家」「私の中の彼女」「だれかのいとしいひと」を読みました。

 しかし、今まではも一つピンと来なかったのです(大作家に失礼極まりない、すみません)。ところが、コロナ禍でいつ旅行に行けるかわからない(この旅行好きの私が)、この夏はお盆の帰省も諦めた、そういう時期に誰かの旅行記を読んでみたくなるのは、さもありなんと言うところ(笑)。

 そんな時、夫の書棚を漁って(夫は、旅行記だけでも本屋が開けるほどの蔵書があります(笑)💦)、偶然見つけたのが、彼女の『世界中で迷子になって』というエッセイだったのです!

 半分は、旅行記。あとの半分は、テーマを決めた彼女のエッセイです。この本が実に面白い❗私は自分より年下の作家の作品に夢中になることはあまりないのですが(何様?って感じ(笑))、本当に魅力的な文章なんです😆🎵🎵

 読み終わるのが惜しくなるくらい楽しい読書を、彼女に提供してもらっています🙋。ストーリーを辿る読み方だともっと3倍ほど早く読めるのですが、彼女の言葉と文章を味わいながらゆっくり読んでいます😃。

 一言では言えませんが、「小気味いい」のです!読後感も爽やか❗🍏、シンパシーも感じる❗🍈元気の出る本です❗🍍彼女が私の今年の夏に、爽やかな風を吹かせてくれたのは確かです🍹。

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 それでは今回も、私の小説「刹那~襟子」の続きをお楽しみください。いよいよクライマックスです😆🎵。

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    「刹那~襟子」 第四章 『濃厚接触

 彼の咳は一端収まったが、それから数分後、立て続けに出だした。肺の奥から絞り出すような、気管の壁にへばりついた異物をこそげ落とすような苦しげな咳は、彼が自らの手や服の袖で口を押さえても、執拗に収まる様子を見せなかった。

 冷や汗を流しているかのように(襟子からは見えないが)うろたえている彼の後ろで、他の乗客はそれ以上に冷静さを欠いていった。

 

 感染したら重症化のリスクが高い老人は、妻に見せる人形を取りに帰ったために、いつものバスより一つ後のバスに乗ってしまったことを後悔しながら、マスクの上からハンカチを当て、前の座席の後ろにうずくまった。

 若い母親は、幼い子どもを膝に抱き、自らの鞄で子どもの顔を覆った。子どもが苦しがってぐずる声がかすかに聞こえてくる。幼い子どもにとって、マスクさえ本当はイヤでたまらないはずだ。ぐずる声が泣き声に変わりかける。

 

 突然、若者の二つ後ろの席に座っていた中年の女性が立ち上がった。襟子は、バスの揺れに耐えつつ、右に揺れ、左に揺れながら若者の方に行こうとする女性に目が釘付けになる。

 他の乗客もその様子を凝視しているのが、後ろにいながら襟子からは、はっきり見えた。

 若者の近くまで来たその女性は、静かに彼に話しかけた。

「咳が苦しそうだね。マスクをあげるから、してくれる?」

どうやら、余分に持っていたマスクを若者に渡そうとしているようである。襟子は、固唾を飲んでその成り行きを注視する。

「私の娘が看護師でね。コロナ専門病院に勤めているから、家族を気遣って帰って来ずに病院に寝泊まりしているの。もう1ヶ月になるわ。できるだけ気をつけないとね。」

女性は、ゆっくりとそう話しかけながら、ビニールに入った真っ白なマスクを差し出した。

(あぁ、この人の娘さんも最前線で奮闘してくれている医療従事者なんだ。可哀想に1ヶ月も帰っていないなんて・・。)

 何度もテレビのニュースで見た修羅場のような病院の様子を思い、襟子は胸が痛んだ。その人の向かってさんに手を合わせて拝みたいくらいだった。

 ・・と同時に、そんな医療従事者に対する心ない差別があるというニュースも思い出した。こういう危機的な状況に置かれると、特に人間の浅ましい自己中心的言動が、醜いエゴが、残念ながら表出してしまうことがある。

 自分がもし患者になったら・・などという、幼稚園児でも可能な、常識レベル以下の想像力さえ欠如している人がいるのだ。なんて情けないことだろう。

 

 うつむいていた若者は、しばらく顔を上げなかったが、女性がなかなか去っていかないのにじれたのか、とうとう顔を上げた。

「おばさん、話しかけるなよ!黙っている分には大丈夫だろ!そうやって話しかけるのが迷惑なんだよ!」

乗客は、息を飲んで成り行きに耳を澄ます。運転手の肩がピクリと動いたのが、襟子にははっきりと見えた。

「だってあなた、咳き込んでるじゃないの!」

「うるせぇんだよ❗」

 あろうかとか若者は女性を突き飛ばし、動いているバスの中でバランスを失った女性は、何かにすがる間もなく空をつかんだまま、あっけなく転んでしまった。

 襟子は、自分でも信じられないような速さでその女性に駆け寄る。・・と同時に、中ほどに座ったいた会社員のうちの一人が、襟子の横をすり抜けて、その若者の方に走っていくのを見た。

「お前、何やってんだよ!」

会社員の男性が若者の襟首を掴む(襟子にはそう見えたが、実際には詰め寄っただけかもしれない)。その刹那、若者人が今度は会社員を無言で突き飛ばしたのだ。

 しかし、大柄な会社員は体のバランスを崩しはしたが転ぶことはなく、逆に若者を座席から引きずり出した。若者は会社員の手を振り払おうとしてむやみに手を振り回す。それはまるで、小学生が親に怒られて暴れる時のようだった。

 

 襟子は、中年女性の体を支えながら、この光景、何かで見たことがある・・と考えていた。外国のニュースだったか。場面も状況も異なるが、マスクをめぐるトラブルという点は同じだったような気がする。確か、最後は殴り合いのケンカになり、バス自体が危険な状態になったはずだ。

「うわぁー❗」

声にならない声がバス中に響き、あちこちで悲鳴があがった。 

「お客さん!やめてください!座ってください!」

運転手の声が空しく響き渡り、会社員によって引きずり出された若者が、バスの床でのたうち回っていた。

 その時、押さえる二人の男性の腕の隙間から、若者の顔が見えた。若者は、顔を歪めて嗚咽していた。苦しそうに悲しそうに泣いていたのだ。涙はバスの床にまでこぼれて、小さな模様を作っていた。

 襟子は、興奮した気持ちが一気に冷えて、冷静さを取り戻すのを感じていた。

 バスは、慎重に、しかし急激に速度を落とし、バス停ではない路肩に急停車した。バスには緊急時の通報マニュアルがあり、運転手はそのボタンを押したと見えて、パトカーのでサイレンはもうすぐ近くに聞こえる。

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 今回は、ここまでにさせてください。私の小説もラストに近づいてきました。執筆した期間は約2ヶ月、一気に打ち出したものですが、内容の中には10年以上前に一度打ち出した部分を改訂したところもあります。

 第四章は、コロナ禍が背景にあるので、2年前から書き出した部分です。そして、それまでの章と合わせてオムニバス風にまとめ、昨年の9月末日に、あるコンクールに出品したものです。

 この2年、様々なことがありました。私の個人的な生活は大きく変わりました。しかし、社会はずっとコロナ禍です。そして、新規感染者数は、今まさに過去最多の危機的状態です💦💦💦。

 ある有識者は、「災害レベルだ」と言っていました。誰が感染してもおかしくない状況の中で、私は怖くてたまりません。

 個人的にも、社会的にも、今なんとしても感染を回避したいのです(もちろん誰でもかかりたくないですよね💦)。

 旅行はもちろんのこと、帰省も諦めました。・・かと言って、いつまでも家にとじ込もっているわけにもいきません。お盆休みが終われば仕事もあります。

 福井県が100人を収容できる大規模コロナ療養センターを作ったそうです。やる気になればできるじゃないですか!スペースだけでなく、医療従事者の確保もできているそうですよ❗

 人口やスペースや医療従事者数など、地方自治体によって状況は様々でしょうが、「手の打ちようがない(厚労省の誰かの弁らしい)」などとギブアップしている暇があったら、場所の確保に走ってもらいたいと私は思います。

 東京の現状は、次のどこかの未来図(もちろん遠い未来ではなく明日かもしれない)でしょう。悪い例は同じ轍を踏まないように、よい例は参考にするだけでなく取り入れて、なんとか改善策を1日も早く実践してほしいと思います。

芹沢マリリンでした🎵

 

No.81実は私、小説も書いてます❗その16

 最近、家族が総合病院で検査をすることになり、改めて考えたことがあります。幸い、その病院は、医療逼迫しているわけではなかったようで、すぐに診察も検査もして貰えました。

 しかし私はその時思いました。もしも、救急車を呼ぶような状態で、かつ緊急に検査したり手術したりしなければならないような症状で、医療が逼迫していたなら・・想像しただけでも恐ろしいです💦💦。

 まず、救急車がすぐ来てくれるだろうか?コロナと関係なくても、すぐに受け入れてくれる病院が見つかるだろうか?手術をしなければならなくなった時、すぐにしてくれるだろうか?・・そんなことを本当に考えてしまいました💦💦。

 運良く受け入れてくれる病院が決まっても、まずコロナに感染していないかどうか調べるはずです。一刻を争うような場合、間に合うのだろうか?入院した場合、病院には失礼なことですが、院内感染しないかも心配です。

 今まで、心配したこともなかったようなことが、命の現場で問われるようになるかもしれません。ニュースや新聞でさんざん言われてきた「医療現場の逼迫」が、いかに恐ろしいものであるか、今回骨身に沁みました。

 そして、このコロナ禍の状況を、一刻も早く改善していくことが急務だと心から思いました。

 文明国日本にいながら、こんな一般的な状況においても、今までになかったような不安を抱え込むことになるとは、あまり想像していませんでした😥。

 歳を取れば体のあちこちに不調がくるのは当たり前です。若い人でも、交通事故や不慮の怪我を負うことはあるかもしれません。

 コロナ禍になってから、今まで以上に、「風邪を引かないようにしよう」「運転には充分気をつけて、事故に遭わないように注意しよう」とは、心がけてきました。

 今日のニュースでは、「自分はコロナにかからない」と思っている人がアンケートの半数以上だった言っていました。私は「誰がいつかかってもおかしくない状態」だと思っているので、「かかるかもしれない」に一票です。

 どんなに気を付けていても、100%かからない保証はないと思っています。だからこそ、日々ニュースで流れる新規感染者数の数字に『慣れてはいけない』と自分を戒めています。数字は今こそ危機的状態だと訴えているのですから・・。

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 それでは今回も、私の小説「刹那~襟子」の続きをお楽しみ頂ければ嬉しいです🙋。

 

  「刹那~襟子」 第四章 『濃厚接触』続き

 彼女には、もう一つ気がかりなことがあった。コロナ禍で子どもたちの安らぎの場であるはずの家庭も、今までにない困難に直面していたのである。

 保護者の仕事がうまくいかなかったり休業を余儀なくされていたりすると、どうしても家庭の空気がささくれてくる。

 そういう中では、悲しいかなDVや虐待が増えることがあるのだ。保護者に余裕がなくなってくるからである。そして犠牲になるのは多くの場合、母親や子どもたちだ。

 彼女は、どうしても連絡の取れない1人の児童が気になっていた。電話をすれば母親が出るのだが、本人に代わってほしいと頼んでも、何かと理由を避けるためですつけて代わろうとしない。

 本来、時節柄、家庭訪問は自粛するよう言われているのだが、彼女はどうにも我慢ができなかった。玄関の外に待たされ、家の中に入れてくれないことは予想できた。

 追い返されるならそれでもいい。もしも今日そうなったら通告しよう。児童相談所に虐待疑いで通告するのだ。

 既に管理職の許可は取ってある。躊躇している場合ではない。一刻を争う状況かもしれないのだ。彼女は、子どもの無事を祈ってこぶしを握りしめるのだった。

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 停留所でバスは停まり、若い学生や勤め人らしき人たちは降りて、代わりに一人の黒っぽいシャツを着た若い男性が乗り込んできた。

 彼はマスクをしていなかった。一瞬その姿を見て、残りの乗客の間に先ほどとは異なる緊張感が走ったのを襟子は感じた。

 その男性は、運転席のすぐ後ろの、一番前の席に座った。依然として沈黙状態のバスの中に、彼の咳が響いたのが5分後だった。襟子は、前に座っている全ての乗客の体が、ぴくんと動くのを見た。たぶん自分も。

 

 若者の名は菅野大輔二十七歳。有名飲食チェーン店の店長に、この春抜擢されたばかりだった。高校を卒業して調理師の専門学校で2年間学び、卒業後市内の飲食店に修行兼アルバイトとして勤めて3年。

 その真面目な働きぶりを見込まれて、正式に従業員として勤めていたが、自分の店を持ちたいという夢をいつか実現したいとチャンスをうかがっていた。

 駅前の再開発とともに、全国的に有名な飲食チェーン店がオープンして、従業員を募集しているのを知って一念発起。

 それまで働いていた飲食店の親方には残念がられたが夢を実現させたいという若者の思いに理解を示し、円満退職に同意した。そして、新入社員として再び一から研修を受けてスタートしたのである。

 それまでの経験の積み重ねがあるため彼は同年代の他の従業員のリーダーとなり、とうとう2年後の今年春、チェーン店ではあるが店長に抜擢されることになった。

 運もあっただろうが、それまでの彼が一つの目標に向かって精一杯努力して手に入れた幸運だったのだ。大会社ゆえに将来の見通しもついて、かねたから彼の苦労を何年も一緒に背負ってきた同棲中の彼女と、晴れて結婚も考えていた。

 ・・ところがである。春先からその片鱗を見せ始めていたコロナ禍が、緊急事態宣言発令とともに飲食業の世界に襲いかかったのだ。

 彼の店長就任は白紙に戻った。それだけでなく、彼の勤めていた店は休業に追い込まれたのだった。古くから地域に根差した他の店舗の存続のために、開業したばかりの彼の店は整理対象になり、一時(いつまでかわからない無期限の)閉店の憂き目に遭ってしまったのである。

 チェーン店ゆえに会社の決定は絶対だった。彼が次期店長として先頭に立って推し進めたコロナ対策の消毒作業も、ソーシャルディスタンスを取った店の改装も、テイクアウトの新メニューの開発も、全て会社からのメール一通で徒労に終わったのである。

 会社としても、多くの店舗を切り捨てるのは苦渋の決断であった。百年以上続く老舗の店が、次々と閉業に追い込まれていくのが、その時の実状だったのである。

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 彼には、今は白紙になった次期店長としての責任だけが残った。解雇される従業員の再就職先を探し、アルバイトやパート従業員には最後通告をする精神的にきつい仕事が与えられた。

 退職金をめぐる組合との交渉も、彼が矢面に立たされた。それでも彼は精一杯その務めを果たそうと、身を粉にして働いた。

 しかし、それらよりももっと彼の心身にダメージを与えたのは、結婚を約束した彼女との関係だった。彼女のお腹には間もなく3ヶ月になる赤ん坊が育っていた。

 彼女は彼に、静かにしかしはっきりとこう語った。

「こんなご時世だから、どうせ結婚式もできないし、今のまま籍を入れるだけでいい。赤ちゃんも、病院に行くこと自体が大変だから諦めてもいい。

 子どもができたら、自分が働けないからあなたを支えることもできないし、あなたの次の仕事が決まるまで我慢しましょう。」と。

 彼は彼女から妊娠を告げられた日の明くる日の早朝、解雇を宣告されたのである。

 喜びで飛び上がらんばかりに彼女と抱き合った日は、(彼女のお腹が目立たないうちにすぐにでも結婚式を挙げよう!そして、年が明けたら3人での新しい生活を始めるんだ!)

・・と、明るい将来のイメージしか浮かばなかった。たった数時間でその思いは深い谷底へと突き落とされたのである。

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 その日から残務処理の辛い日々が始まった。そして、瞬く間に彼女と最後の決断をする期限が来たのである。

 彼は、自分の気持ちがはっきりと決まらないまま、彼女のもとに向かっていた。彼はなんとかなると思った。彼女と二人がんばれば生きていけると思った。しかし、そのことに確かな根拠がないことは明らかだった。

 その苦労を理解している彼女は、重荷になりたくないと言う。自分も一緒にがんばりたいと言う。どうしたらいいんだ。後で後悔したくない。いや、後悔せずにいられるわけがない。だけど・・。

 堂々巡りのまま、糸口の見つからない(そのこと自体が彼は男として情けなくてたまらないのだが)ループに絡まれ、身動きができずにいたのである。

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 彼の咳は一端収まったが、それから数分後、立て続けに出だした。肺の奥から絞り出すような、気管の壁にへばりついた異物をこそげ落とすような苦しげな咳は、彼が自らの手や服の袖で口を押さえても、執拗に収まる様子を見せなかった。

 冷や汗を流しているかのように(襟子からは見えないが)うろたえている彼の後ろで、他の乗客はそれ以上に冷静さを欠いていった。

🚃🚃🚃🚃🚃🚃🚃🚃🚃

 

 今回は、ここまでにさせていただきます。様々な人生が交錯し合うバスの中で、とうとう事件が起こってしまいます。

 私がこれを書いたのは一年半前ですが、コロナ禍の社会の様相は、ほとんど変わっていないのに驚き、困惑しています。寧ろ、新規感染者数は、過去最多を記録し続けています。

 私たちは、何を間違ったのでしょう。どこかに科学と相容れない思い違いをしていたはずです。間違った判断と実践を今こそ反省し、1日も早く改善していく行動を起こすべきでしょう。

 私の意見は今までずっと述べてきました。ブログの始めの言葉は、ほとんどがコロナ禍に関することです。何よりも大切なのは「命」なのだと、改めて言わなければならないほど、社会の情勢は曖昧模糊としたものになりつつあると私は思ってしまい、尋常ではいられません。

 

 さて、私の小説もクライマックスに向かっています。もう少しの間、お付き合い頂ければと思います。

芹沢マリリンでした🎵

 

 

No.80実は私、小説も書いてます❗その15

 世間では、今日のコロナ新規感染者数がまた過去最多を記録し、全国レベルの緊急事態宣言が論議されているらしいという大変な日に、目と耳を疑うような気持ちの悪いニュースが飛び込んできました😰。

 今日はブログの更新をする予定がなかったのですが、あまりに怒り心頭❗我慢ができず発信することにしました😤。

 名古屋市長の暴挙についてです💦。

 私は今まで、ブログ上で個人に対して非難するような記事を書いたことはありません。そう私は思っています。

 コロナ禍の社会において、政府の後手後手に回る政策に怒りを覚えて記事にしたことはありますが、あくまでもその政策に対して抗議の気持ちを表したのであって、菅首相の名前をことさら出したわけでもなく、個人の言動に対してコメントしたわけでもありません。

 しかし、市長を表敬訪問した金メダリストの若い女性のメダルを、人々の面前で、あろうことか、感染対策のマスクを外して「噛む」などという暴挙を、はたして許せるでしょうか⁉️

 私はニュースを見て呆然としてしまいました!確かに、メダリストの中にはそういう仕草をする人はいます。一生懸命努力してがんばってきたメダリスト本人だからこその仕草です。

 大変な努力と苦労の結晶のメダルを、他人が首にかけさせて貰うことだけでも、絶対必に遠慮すべきことなのに、それをメダリストの真似をして「噛む」なんて、そんなことがなぜできてしまうのか、私には全く理解できません❗

 ましてやコロナ禍!メダルも東北の農家の方々が育てて作ってくださった可愛らしい花束も、トレイからメダリストが自分で取り上げて首にかけたり、手に持ったりしているのです!

 他の人との接触を避けるためです。少しでも感染の危険を避けるためです。

 なのに、公衆の面前でマスクをとって口にするなんて❗どういう感覚ですか⁉️

 こんなデリカシーのない態度を取る人が、どういうふうに市政を担っているか、市民にどういう態度で接しているか、想像に難くありません。

 ネットには「もし私がそんなことをされたら、悲しくてその場で泣き崩れてしまう!」という意見もありました。同感です。そのメダリストの気持ちを考えると胸が苦しいです・・。

 市長は簡単な謝罪で済むと思っているようですが、そんなことで済ませていい問題だとは思えません。政治家として良識ある行動だったかどうかだけでなく、人としてしっかり反省し、心から謝罪すべき問題なのではないかと、私は思います。

 

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 それでは気分を入れ換えましょう。

 今回も私の小説「刹那~襟子」の続きをお楽しみいただけたらと思います🙋。

 

   「刹那~襟子」 第四章 『濃厚接種』続き

 大学生の長男は東京で独り暮らしをしている。感染者が莫大に多い東京からは当然のように帰って来られない。

 アルバイトもできない状態なので、食料品や身の回りの物を娘にリストアップして貰い宅配便で送ったが、孫の本当に好きな物を入れられたかどうか不安である。

 娘ならきっともっと上手く用意できるのにと思うと、彼女は悲しくなってしまう。

 長女は高校3年だ。「コロナ世代の受験生」と呼ばれているらしい。休校が続いて授業も進まず、オンライン授業も最初こそ物珍しそうにがんばっていたが、やはりどうしても反応にタイムラグがあることがもどかしいらしく、登校するときの方が嬉しそうだ。

 秋には志望校も決めねばならず、元来明るかった長女も、めっきり口数が少なくなった人生の大きな岐路に立っているのに、娘のようには有意義なアドバイスもできず、彼女は自分がもどかしい。

 今日は、祖母でなく母として娘に着替えや化粧品やおやつを差し入れするためにバスで病院に向かっている。

 

 彼女の二列前に座ったいる親子は、山下実南二十八歳とその娘佳菜五歳だった。佳菜には軽い発達障がいがあった。三歳児健診で、語彙数が平均よりかなり少ないのと、ADHD(注意欠陥・多動性障がい)の傾向もあることがわかった。

 コロナ禍でなければ理解ある保育士さんたちに囲まれ、佳菜は佳菜なりに保育園生活に馴染み、登園をいやがることもなく毎日を過ごせていただろう。

 しかし、コロナ禍になり、未知のウイルスが老いも若きも関係なく襲い続けるこのような状況の中で、実菜は怖くてたまらない。

 娘の佳菜は、今だに何でも口に入れる。誰のそばにも近寄って行く。他人との距離が極端に近い。

 マスクをするように言っても、もっと幼い幼児のようにいやがって言うことを聞かない。だから、どうしても保育園に預けることができなくなったのだ。

 このまま状況が変わらなければ、小学校にも行かせたくない。娘を失うかも知れないリスクが他の子どもより大きい以上、どうしても自分のそばから離すことができないのだ。

 これでは、実菜は働くこともできない。その上、夫は無関心で相談に乗ってくれない。みんな行っているんだから保育園に行かせろと言うばかりだ。

 実菜はの母親も、尋常ではない状態に驚き、娘の説得に当たった。保育園も充分に気をつけているだろうから行かせなさいと。

 そうしなければ、孫の生活だけでなく娘実菜の生活まで駄目になると諭すのだが、彼女は一歩を踏み出せずにいる。

 一日中娘と一緒にいて片時も離れず、家に引きこもって手の消毒ばかりに時間を費やす二人を見て、母親がとうとう精神科受診を勧めたのだった。

 実菜は、半年もそういう生活を続けて限界が来ていたこともあり、母親の提案に従うことにした。彼女にとっては大きな決断だった。

 このままではいけないと一番思っているのは彼女自身だった。今自分が変わらなければ、この苦しみの渦に幼い娘を引きずり込んでしまうだろうと、まだ正常な部分の精神が危機感を持ったのである。

 彼女は必死の思いで、ついて行くと言った母親をおいて、新しい生活に自分の力で踏み出した。それが今日だったのである。

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 何人かの学生の他に、まだ若い紺のスーツを着た女性が乗っていた。彼女は篠田利香子二十五歳。小学校の教師である。

 教師になって三年目、ようやく担任を持てるようになり、自分のクラスをどうやって造っていこうかと考え、ワクワクしていた矢先だった。

 コロナ禍のため、全国の小・中・高全面休校が始まったのである。四月になっても始業式はなく、児童のいない小学校は普通のビルより寂しい。

 ソーシャルディスタンスを取るため、一クラスを半分に分け机の間隔を広げた。利香子の学年は小学2年生でクラスの人数がもともと少なく構成されていたため、小さな低学年用の机と椅子の間隔を広げるだけで良かった。

 本当は、教室の後ろにフリースペースを作り、マットを敷いて、子どもたちが自由に遊べるコーナーにしたかったが、そのアイデアは使えなくなってしまった。

 絵本の読み聞かせをするために、子どもたちをコンパクトに集めることもきっと不可能だろう。それでもなんとか子どもたちの不安を和らげてやりたい。

 彼女は、教室の隅々まで消毒液を噴霧しながら拭き続けた。今のうちにと、時間を惜しんで教材研究もした。三角形と四角形の違いは何を使って教えよう。「スイミー」を習ったあとには、魚の形の色紙に子どもたち一人一人が思いを書いて、それを集めて大きなパネルを作ろう。

 ・・次から次へと発想だけが浮かんでくるが、あくまでも児童のリアクションのないまま(初めての担任だったので「以前の経験」というものがなく、予想することができない)、それでも彼女は、授業計画を作り、学習プリントを作成するなどのできる限りの準備に精一杯努力した。

 自分のやっていることがいいのかどうかもわからないまま、やれることはそれだけだった。

 やっと学校が再開され、子どもたちがマスクをつけて登校してきた。彼女は子どもたちに囲まれ、夢にまで見た担任としての仕事に全力投球するのだった。

🐟🐟🐟🐟🐟🐟🐟🐟

 しかし、マスク越しには子どもたちの表情が見えない。最初のうちは、笑っているのか泣いているのかさえすぐには判断できない有り様だった。

 そのうちになんとかクラス全員の名前とマスク越しの顔の判別ができるようになったが、一番心配な無表情の児童の心が読めない。

 子どもたちの送って来るサインを、瞬時にキャッチすることができないもどかしさは、彼女に予想以上のストレスを与えたのである

 その上、感染症対策として、子どもたちを密集させることもできない。グループでの作業やゲームや話し合いもできない。

 いたずらをした子どもたちを叱るとき、普通なら子どもたちの目線まで下がって、瞳を見つめながら至近距離で静かに諭すのだが、必要以上に距離を取ってしか話すことができない。

 「篠田先生、篠田先生!」と叫びながら飛びついてくる子どもたちを抱きしめることもできないのだ。自分を慕って近寄って来る子どもたちを引き離すことが、彼女にとってどんなに辛かったことか。

 低学年の児童のごく普通の親密さの表現を、担任として全身で受け止めることができない、それは彼女にとって本当に身を切られるような思いだった。

 しかし、そこで留まっているわけにはいかない。今でもできること、今だからできることを、新しく考え試していかなくてはならない。なぜなら、誰も経験していないからだ。

 彼女の試行錯誤が始まった。ベテランの教師でさえやったことのない、前例のない新しい教育活動が、今、求められているのだ。

 彼女には、もう一つ気がかりなことがあった。コロナ禍で子どもたちの安らぎの場であるはずの家庭も、今までにない困難に直面していたのである。

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 今回はここまでにさせていただきます。一年半前に執筆していた小説を、ブログの原稿におこしていると、その頃の社会情勢を思い出します。まだ1回目の緊急事態宣言が出たばかりの頃でした。

 そして今、全国ではありませんが、四回目の緊急事態宣言が発令されています。そんなことは予想だにしていませんでした。

 厳しい状況ですが、皆様お元気でいらしてください。次回の第四章「濃厚接触」の続きを楽しみにしていただけたら嬉しいです🙋。芹沢マリリンでした🎵