No.69実は私、小説も書いてます❗その4

 私にもワクチンが打てるチャンスが巡って来ました。大規模会場でワクチンが余っているらしく、希望があれば申し込んで‥ということです😲。

 私のワクチンは年末?…と思っていたので、嬉しい反面、なんかちぐはぐだなぁと思わずにいられません。接種予約券を持っている高齢者が、何時間も前から列をなして、まさしく密な状態で並んでいたあのニュースは、それほど前のことではないのに…😓。

 ワクチンが豊富にあるようになったのは喜ばしいことだと私は思いますが、もう少し計画的に進められないものでしょうか…😔。

 また、ようやく後遺症に関するニュースが頻繁に報道されるようになりました。あるニュースでは、感染者の40%以上の人に、何らかの後遺症が残っているという報道もあります!

 大変なことです。首尾よく完治?しても、長期間にわたってコロナは人を苦しめる場合もあるということです😥。更に詳しい情報を、早く流して注意を促して欲しいと思います。

 …が、五輪が終わるまでは、そういうネガティブな報道は政府としては都合が悪いのでしょうね😓。終わってからでは遅いと私は危惧していますが………。

 

 さて、今回も私の処女作「刹那~襟子」でお楽しみください(笑)。第一章「交差点」の終わりから第二章「ホーム」の始めまで、『非日常』の世界を感じて頂けたら嬉しいです🙋。

☔☔☔☔☔☔

 

 第一章 「交差点」 続き

 襟子は決然とドアノブに手をかける。その時だった。今までよりもっと激しい強風が、わずかに開いたドアから車内にものすごい勢いで吹き込んで来たのは…。

 その風圧は、車体を揺らしながらドアを付け根からその可動域よりも大きく開け放った。鈍い金属音がして、ドアは斜めにあり得ない形状に歪んだのだった。

「ご、ごめんなさい!」

襟子は震えながら謝るしかなかった。雨なのか涙なのかわからない液体が眼から溢れだした。何度も頭を下げて謝り続ける襟子に、それまで黙っていた男たちが口々に言った。

「いいから、いいから、ボロだし。」

「早く帰りな。」

その言葉を聞いて、襟子はもう一度頭を下げ、きびすを返して駆け出した。本来の寮の場所まで、少し小降りになった雨の中を後ろも見ずに走り続けた。

 寮に戻ってから襟子は何をしたのか全く覚えていない。なぜか記憶から何もかも消えてしまっているのだった…。

 

 しかし、この事件は襟子の心から消えることはなかった。「刹那だ。」一瞬の判断と状況の違いで、やはり自分は、今の自分でなかった可能性が高いと考えると、襟子は震えが止まらない。

 ほんの「刹那」が人生を変えてしまう。偶然と別の偶然のクロスした一つの点がそこにもあった。まず、なぜ自分は、見知らぬ人の車に乗ってしまったのか。幼児でもできるであろう容易な判断が、その時の自分にはなぜできなかったか…。

 車の男たちにもしも悪意があったなら、暗い神社の境内の奧で自分はどんな目に遭っていたか、想像に難くない…。車という密室に相手は若い男3人である。抗いようもなかっただろう…。・・襟子は自問自答を繰り返す。

 

 その時の襟子に恋愛の経験がなかったとは言えないが、もちろん肉体の関係はなかった。男の体に触れたこともなかった。もしも何かがあったなら、それは彼女のそれからの人生に大きな影を落としたのではないだろうか。

 立ち直れただろうか。体は大丈夫だっただろうか。本当に愛する人と出会った時、フラッシュバックに悩まされることはなかっただろうか…。

 いや、大人になった時、1人の人間として、社会や環境に適応していけただろうか…。

 その男たちは実はとても優しい人で、本当に好意で車に乗せてくれた可能性もゼロではない。しかし、今から考えると、やはりゼロではないという程度のことのように思えてくる。

 あの時、強風で車のドアが壊れたことで思いとどまったのではないかと思ってしまうのだ。それも偶然のなせる技だろうか。

 もしもあの時、車のドアが壊れなかったら、もしもあの時・・。もしも・・。雨、水しぶき、稲光、そして神社の鳥居の赤い色、強風に壊れる車のドア、その鈍い金属音・・。

 それらの記憶が時間とともに壊れるどころか、寧ろ意に反して感覚が増幅されていくのを、襟子初盆はっきりと感じていた。

 

 車の中で次から次へと封印したかった過去の記憶が念頭に引きずり出され、襟子はしばらくの間ハンドルを握ったままで動けずにいた。

 外はすっかり宵闇になったが、逆に街灯や家々の灯り店舗の灯りやネオンが瞬き、車を停車した時より明るいくらいだ。襟子はエンジンのスタートボタンを押し、方向指示器を右に倒した。

(とにかく帰ろう。危ない目に遭ったから嫌なことばかり頭に浮かぶのだ。自分は今無事なのだから、はっきり言って何も起こっていないのと同じ。いつもと同じ平穏が繰り返されるはずなのだ・・。)

襟子は必死で自分に言い聞かせ、やっとの思いで再度帰途についたのであった。🎇✨🌃🌠

 

 第二章 「ホーム」

 土曜日の出張に辟易しながらも、襟子は自分に与えられた仕事に充実感を覚えていた。五十歳にはまだ間がある。やりたい仕事に全力を傾けられるだけの時間的・物理的、そして精神的余裕も近頃は出てきた。

 襟子は前に出るタイプではない。地味な仕事をコツコツやるのが好きだった。他人からの表だった評価はなくても、ふとした時に頼りにされることは心地良かった。

 しかし、出張帰りの駅ビルは、土曜日のため人通りが多く、襟子を疲れさせるのに十分だった。

 A4版の書類画入るバッグが重い。おまけに駅に隣接したデパ地下で夕食の惣菜まで買い込んで、2つのペーパーバッグが身動きをとれなくさせていることに、少々イラついてきた自分をもて余していた。

 夫は今日は当然仕事が休みで一日中家にいると言っていた。その夫のために、彼の好物のサーモンマリネを少し多めに買い込み、秋だというのに残暑がいつまでも厳しいという気候を考えて、保冷剤を多めに入れてもらった。その袋をなるべく斜めにしないように気を付けながら歩いたことが、余計に襟子の肩だけでなく全身に負担をかけていたのである。

 

 襟子は一人でレストランにも喫茶店にもラーメン屋にだって入ることができる。専業主婦の友人には不思議がられるのだが、襟子はそのことにたいして違和感を持ったことがない。

 自立した女だと主張したいわけではないが、一人で何でもできる。たとえ「お一人様」でなくてもそれは同じです誰かに依存して生きている女とは違うという自負我あった。

 最近の自分は、自分で自分を上手くコントロールできているのではないかなと、幾分ポジティブになってきた自分に、夕闇にはまだ早い夏の終わりの夕日の眩しさが拍車をかける。

 その日も、なんのこだわりもなく当然の成り行きで、こうして駅のホームを見渡せる開放的なティーラウンジ弟一人で席を取ったのだった。

 COVID19の影響で、座席は半分しか稼働しておらず、大きな荷物を持った襟子は、隣の席にバッグとペーパーバッグを置いて、ゆったりと過ごすことができた。

 

 駅には様々な人たちが忙しそうに行き交っている。家族、友人、旅行者、学生、サラリーマン、そして恋人たち・・。

 襟子はアイスコーヒーのストローを噛みながら、人間ウォッチングをするのが好きだった。土曜日の夕方ゆえにホームには行楽帰りのハイテンションな集団が多かっが、襟子と同じく土曜出勤の会社帰りの少々疲れた男女の姿も数多く見受けられた。

 いつの間にかメイクが落ちかけている。特に暑さでため汗を拭った眉の辺りが怪しい。

 襟子バッグ身だしなみには細心の注意を払っていた。仕事柄でもあるが、いつどこで誰に会うかもわからない。何かの折りに自分の名前が出た時、見苦しい印象を与えるのは死んでも避けたいことだ?

(意外に自分は自己顕示欲が強い人間なのかもしれない…。)

 精神的に脆いところのある人間だと自覚があった襟子は、そんな風にリラックスしている自分が可愛かった。襟子は普段はけっしてしないが、スーツのボタンを外し、ブラウスの襟もはだけた。片方のパンプスも半分脱いで足の指にぶら下げた。

 

 襟子がまだ大学生の頃、仲間内の誰もが襟子と付き合っていると認めていたはずの彼が、別の女性とこのラウンジに来たところにばったり出くわしたことがある。

 丁度その時も、こんな風に靴を(その時はサンダルだったが)半分脱ぎかけていた。そんな、ふと気を許した隙を突かれたような事件だった。

 まさかその時、そこに彼が現れようとは、予想も予感もしていなかった襟子は、はじめは偶然の出会いに小躍りしそうになった。襟子がストローを噛むのをやめて、一口冷たいコーヒーを飲み込んだその瞬間だった・・。

☕️☕️☕️☕️☕️☕️

 

 今回は、この辺りにさせていただきます🙋。続きは次回のブログで是非ご覧ください💐。次回は、ショッキングな第二章のクライマックスです😆。お楽しみに👀。芹沢マリリンでした🎵

 

 

 

No.68 実は私、小説も書いてます❗その3

 6月半ばになりました。時には猛暑日にも見回れる暑い日が続いています☀️。世間ではワクチン接種がどんどん進んでいるらしいですが、私にはまだ予約券も送られて来ていません。

 コロナ禍の状況は、新規感染者数は減少してきていますが、やはり今でも誰が感染してもおかしくない状態という点では変わっていません。

 マスクが不要になったり、外食や旅行に以前のように出かけられるようになるのは、いったいいつになるのでしょう…。

 変異株も後遺症もやはり心配なので、もうしばらくは自粛生活かなぁ…と、我が身を戒めています😓うつるのもうつすのも避けたいですから…。

………🌠✨🌃🎇

 それでは、今回も私の処女作「刹那~襟子」の続きをご覧ください。

 

 第一章 「交差点」続き

 薄闇は次第に色を濃くし、パラパラと小雨が降ってきた。街の灯りはまだそれほど増えないが、アスファルトの道路に黒い跡を付けながら雨は次第に大粒になっていく。

 地面で跳ね返る雨粒の軌跡が、灯りにまだらに照らされて不協和音のようなリズムを刻む。数分の間に雨は車軸を流すような大雨となり、ワイパーではフロントグラスの雨粒を避けきれなくなった。

 前がよく見えない。地面と空気の境目が曖昧になり、車をたたく雨音がラジオの音をかき消す。近くに高校があるらしく、下校途中の女子高生が突然の雨に驚いて駆け出している。

 三人で一つの傘には入り、何がおかしいのかケラケラ笑いながら体をぶつけ合うようにはしゃいで歩く女性徒達がいる。

 片や、鞄を頭に乗せ疾走していく男子生徒もいる。急いで鞄から折り畳み傘を取り出す少女の背中に、容赦なく雨は降り続く。

 

 襟子パーカはやっと落ち着いてきた心臓の鼓動が、再び恐ろしい速さで打ち始めるのを感じ、路肩が少し広がって空き地になっているスペースを見つけると、左のバックミラーに注意を払いながら静かに車を停めた。

 丁度こんな雨の夕方だった。いや、その時は雨は今と同様でも、更に風が強かった。台風ではないが、後にゲリラ豪雨と呼ばれるような激しい雨と風の日だった。

 襟子は、高校二年、十六歳。その日の一瞬がほんの少しでも違っていたら、今の襟子は存在しなかったかもしれない。

 思い出したくないのに、忘れたままでいたいのに、あの日の光景が、激しい雨の音とともにいやが上にも襟子の脳裏に記憶を呼び覚ます。

 雨の音が籠って何処か遠くで聞こえるような車の中で、過去の記憶は逆に襟子のすぐ傍まで、地団駄を踏むような激しい足音をたてて近づいていた…。

 

 時折雷が遠くで体に響く重低音を鳴らし、横殴りの雨が地面を叩き付けていた。大雨とともに強風が足下に溜まった雨粒を噴き上げ、傘は全く用を為さない。

 頭から足の先までずぶ濡れの襟子は、寮(襟子は自宅が遠方のため、高校三年間を寮で過ごした)までのあと十五分の道のりをどうやって帰ろうかと、いまいましい湿った空気に唇を噛みしめていた。

 自宅なら車で迎えに来てももらえるし、帰宅したらシャワーも浴びることができるが、寮生にはそんな環境はなかった。そのことが、少なからず襟子の気持ちをささくれたものにしていたであろうことは否めない。

 

 雨は容赦なく襟子の体を叩き付け、夏服のカッターシャツをずぶ濡れにし、白い下着の線をそのままに露にしていた。

 その上、雨を含んだシャツは襟子の肌に張り付き、その体の線まで丁寧になぞるのだった。更に強風によって紺のプリーツスカートは押さえても押さえても、腿の上までまくれ上がり、襟子は絶望的な気持ち、寧ろどうにでもなれという投げやりな気持ちにさえなっていった…。

 何台もの車が、歩道のない道で襟子の体すれすれに通りすぎ、ブレーキは踏むが避けきれず、地面の泥水を豪快に跳ね上げていった。

……と、一台の灰色の車が襟子の傍で止まる。若い男がやっと免許を取ったばかりで、親の車か中古車で運転しているといった呈であった。

「家まで送るから乗ったら?」

と、運転していた男が助手席のドアを開けて襟子に話しかける。襟子は、見知らぬ男の運転する車に乗るわけにはいかないと警戒しながら、

「大丈夫です。『家』はすぐそこなので。」

と断った…が、雨の音でその声は掻き消されたかもしれない。

 その時、稲光とともに一段と強い雨脚が、車の中まで吹き込もうとしていた。

「私びしょ濡れなんで。車が濡れますから…。」

「早く乗らないと後ろの車が困ってるよ。」

その車が停車しているので、後ろに二、三台の車が速度を落として近づき、今まさに止まろうか追い抜こうか、躊躇うように連なろうとしていた。

「すみません…。」

襟子は、運転者と後ろの車と、稲光のあとますますきつくなった雨脚に急かされて、車の助手席に滑り込むしかなかった…。

 襟子は助手席に浅く腰かけ、濡れたスカートに一枚の木の葉がくっついているのに気づいて手に取った時、後ろの座席に更に二人の若い男が乗っていることを初めて知ったのだった…。

 

 後ろの座席の男たちは何か小声で話している。

「○○高校?」

「…はい…。」

「家はどの辺?」

「…すぐそこです…。」

濡れてもつれた髪をしきりに撫で付け、襟子は降りるタイミングを計っていた。

 悪い人たちには見えない。しかし、全く杞憂だとも言い切れない。もしも、本当に親切な人だったら、急に降りると言うと気分を害するかもしれない。

 事実、座席のシートも足下も水浸しにしてしまっているのだ。しかし、今自分は濡れたシャツを通して、下着も肌の色も露に映った姿で男三人の中にいる。それも密室の…。

 混乱した襟子の視界に、寮の近くの神社の鳥居が見えてきた。薄暗い雨闇の中にも、鳥居の朱色がちらちらと見え隠れして襟子を呼ぶ。

「あの神社の近くなんです!あの前で降ります!」

 運転者は右にウインカーを出して車を神社の境内に滑り込ませた。

「あっ!」

と声に出た時には、既に車は境内に十メートルほど入り込み、赤い鳥居の前で止まった。鬱蒼とした木立が雨を遮り、なるほど傘を差しやすい場所ではあったが、思ったより、境内の奥に入り込んでいることに襟子はうろたえた。

 道路からは距離があって、既に明滅している街の光は届かない。襟子は決然とドアノブに手をかける。その時だった…。

☂️☔☔☔️☔️☔️☔️

 

 今回はここまでにさせてください🙋。第一章は間もなくラストで、第二章「ホーム」進みます。引き続き「非日常」をお楽しみください🙆。ではまた😁

芹沢マリリンでした🎵

 

 

 

 

 

No.67 実は私、小説も書いてます❗その2

 私の小説をブログで読んでくださっている方がいらっしゃることがわかって、俄然元気が出ました❗ありがとうございます😃。

 世間ではコロナワクチンの接種が進んで、明るい未来が見え始めていると報道されていますが、私の家族はまだ誰もワクチンを打ててはおらず、自粛生活に飽き飽きしながらも、感染を回避できるよう(もはや、回避しきれるものでもありませんが)、気をつけてストレスフルな生活を続けています😓。

 皆様も、そういう生活を長い間されていると思うので、私の拙い作品をチラ見してくださることで、ちょっと異質なスパイシーな香りを感じる機会になることができたら、私にとって嬉しい限りです😌🎶。

 日常の中の『非日常』は「楽しみの素」です❗貴方にそれがひとつでもプレゼントできたらいいのですが…………。

🌊🌊🌊🌊🌊

    「刹那~『襟子』」

  第一章「交差点」の続き

 襟子が小学生の頃の夏、海水浴場の賑わいが聞こえる。地域の子ども会が何かで十数名の小学生と保護者が数名、遠浅の海水浴場に遊びに来ていた。襟子は小学4年生くらいか。

 何度も来たことのある馴染みの浜だった。天気は快晴、風もなく海水浴日和だった。海の家が二、三軒、シャワールームや脱衣所も完備されていた。

 海の中には小さな浮島があり、中学生くらいの少年たちが飛び込んで遊んでいた。何の変哲もない、ごくありふれた海の風景である。

 強いて言えば、前日の夕方から最近よくあるゲリラ豪雨が長引いていたことが少し気がかりと言えば気がかりだった。ただ、小学4年の襟子には、その影響など全く念頭にあるはずもなかったのである。

 

 襟子は水泳には自信があった。早くはないが、ゆっくり休んだり浮いた早くはないが、ゆっくり休んだり浮いたりしながら泳ぐのなら、いつまでも泳げるような気がしていた。クロールではなく平泳ぎなら、遠くの島へも行けるような気がしていた。

 だから襟子は肩のところに小さなドーナツのような浮き輪を付けているだけで泳いでいた。それはいつものことだった。波もない凪いだ浜を襟子はどんどん沖へと泳いでいった。

 もはや同級生たちは近くにはおらず、自分のペースで自分のやりたいように泳げるのが気持ち良かった。足は立たない。時折何かの拍子に海の底の砂を足の指が掻き上げたが、その感覚も間もなくなくなった。

 襟子は落ち着いていた。溺れそうになったら、上を向いてぽっかり浮かんで体力の回復を待てばいい。慌てるとむやみに暴れるから余計に体力を消耗して溺れてしまうのだ。

 小学校の中学年としては、生意気すぎるほど落ち着いている自分に満足し、もうこれでいいだろうと海岸に向けてUターンしようとした時だった。

 その感覚は、襟子の足にガンとぶつかってきた。生き物ではない。単なる流れだ。単なる潮の流れが、まるで壁のように襟子の足下をすくった。

 その影の部分だけ水の温度が違う。周りの海より流れが速いからか、思いがけず冷たい。襟子には凍るように冷たく感じられた。

 そして、その流れは、陸から沖へと海の中の急流のような速さで帯のように繋がっているのだ。波は沖から浜へと動くものだと思っていた。遠くでサーフィンをしている何人かの若者が、その自明の理と思われることを実証している。

 しかし、襟子の足下の辺りだけ、細く速く冷たい流れが、確実に反対方向へと襟子の体を運ぼうとしていた。これが多くの海難事故の原因となる離岸流であることを知ったのは随分後のことだった。

 襟子は焦った。水の中なのに額から冷たい汗が噴き出てくるのを感じた。必死に水を掻いてはいるが全く前に進まない。それどころか、どんどん陸地が遠ざかっていく。暗闇で何者かにぐいぐい背中を押されるように、否応なしに流されていく。

 襟子は流れに必死に抵抗し、むやみに手足を動かすしかなかった。激しくもがいたために体力が急激に消耗していく。声を出したいが水の中にいるのに喉がカラカラに渇いて声にならない。そのくせ容赦なく塩辛い海水が喉にゴボゴボと飛び込んでくる。

 辺りには誰もいない。遠くまで流された襟子に気づく人はいない。苦しい。死ぬかも知れない…。襟子の頭には冷たい海底に沈んでいく自分の姿がTVドラマのように浮かんでくる。

 空を掴む自分の足の下に様々な魚たちがうようよと集まってくる。大きな魚は鋭い歯を剥き出しにして今にも噛みついてきそうだ。毒のあるクラゲの長い触手、絡み付く海藻のぬるぬるした感触まで、どこまでが現実でどこからが想像なのか定かでなくなった。

 昔溺れて死んだ人が、真っ白い手で足を掴み、水底へと引きずり込むというまことしやかな言い伝えが、急に襟子の脳裏に浮かび、恐怖が絶頂になったと思われたその時だった。

 襟子の目の前に波間から赤い(その時は太陽に照らされ続け、朱色になって色褪せていたが)ブイが現れた。それは遊泳区域の限界を示すブイだった。

 遠くまで流された…と思っていたが、実際は四角い遊泳区域の端に到達していたに過ぎなかったのだ。遊泳区域を離岸流の近くに設定するはずはないが、前日の思いの外長時間に及ぶ豪雨で流れが変わったのかも知れない。

 襟子は思わず赤いブイにしがみついた。遠くから見ていた人には、ブイを引き寄せて遊んでいるとしか見えなかったであろう。ブイには、海藻がへばり付いて乾いた後の汚れやコールタールの固まりや、フジツホの死骸などがくっついていて、襟子の腕や胸を傷つけたりしたが、そんなことは何でもなかった。襟子にとっては命の綱だった。

 そこからどうやって浜まで戻れたのかはすっかり忘れてしまったが、襟子にとってその事件は、物心ついてから「死」を意識した初めての瞬間だった。死は遠いものではなかった。すぐそこにあった。

 一つ間違えば、自分は十歳やそこらで人生が変わっていたのだ。ほんの少しの偶然と別のほんの少しの偶然がクロスした小さな点に上手く命の尾が引っ掛かったに過ぎない。

 幼かった襟子はそのことがトラウマになって水泳我できなくなるようなことはなかった。しかし、大人になってもふとした時にそれは夢の中に現れた。空を掻く足、急に冷たくなる流れ、否応なく沖へ流される無為な体の動きに眠りを妨げられることが幾度もあった。死は、確かに近くに存在したのだ…。

 

 薄闇は次第に色を濃くし、ほどなくパラパラと小雨が降ってきた。

☔️☔️☔️☔️☔️

 

 第一章は、もう少し続きます。第二章は「ホーム」です。決して気持ちのいいストーリーではありませんが、『非日常』だと思ってお付き合いください(笑)😊

 まだまだビミョーな日々が続きますが、どうかご自愛くださいませ😃。 芹沢マリリンでした🎵

No.66 私、実は小説も書いてます❗

 ほぼ1ヵ月、ブロを更新できずにいました😅。生活の激変もあり、社会の遅すぎる変化もあり、ようやく次のステージに向かうことができたようです🙋。

 今までのブログでも述べたことがありますが、私はものを書くのが好きです❤️。ブログはもちろんその一つですし、実際に2冊の本📕を出版したりもしました。

 1昨年から書き始め、昨年の5月にエッセイの「おばさんの海外旅行 あるあるエピソード集」を、また7月には本職である教職のマニュアル集「(若い)先生たちへの応援BOOK」を出版しました❗🙆

 その後、小説にも手を伸ばして、今回紹介させて頂く小説を書きました!そして、かの有名な「文學界」の新人作家コンクールに応募しました🎵。

 残念ながら、いやはやもちろんというべきですが(笑)賞には届かす、世間様に知られる機会がなかったため、今回オープンにすることができるようになりました(笑)

 私の拙い作品ですが、自分なりに丹精込めて書きましたので、どうしても世間に発信したいのです。素人の小説ですが、少しでも楽しんで頂けたら嬉しいです❗😆🎵🎵

……………………

   刹那~『襟子』

  第一章 交差点

 交差点で右折レーンに入った襟子はブレーキを踏んで車を一時停止させた。何台もの直進者が通りすぎる。いつもこの交差点は混んでいるから慣れている。

 一台のバイクが襟子の斜め後ろに付く。襟子はバックミラーとサイドミラーで素早く確認する。最近よく見かけるUber Eatsの宅配車だ。

 十台ほどの乗用車が、襟子の右サイドをかすかな振動とかすかな風圧を残して通り過ぎ、次にトラックが前方から近づいた。右折可のブルーの矢印はまだ出ない。しかし間もなくだろう。

 

 トラックは信号の変わる前にとスピードを上げて、襟子の車の横を通りすぎようとした。トラックの後ろには遠くまで車の姿は見えないから右折のチャンスだ。

 トラックが横をかすめる。襟子がブレーキペダルから足を外しアクセルに踏み換える。その瞬間だった。襟子の左側を後ろのバイクが右折しようと急発進した。

 襟子がかろうじて急ブレーキを踏む。襟子の車と同時かそれより早く右折しようとしたバイクが、トラックの後ろにいたもう一台の小型バイクに気づいた。

 小型バイクの運転手が気づいて右を見る。すかさず直進するため寧ろスピードを上げる。右折するバイクが急ブレーキを踏み、速度を落としたために不自然で奇妙な揺れ方をしたのを襟子は瞳の端で捉えた。

 その刹那、直進する小型バイクとそのバイクが、ほんの紙一重の差で交差した。小型バイクの運転者は右折するバイクの方を一瞥したように思ったが、瞬く間に視界から外れていく。

 タイヤが地面と摩擦しておこる火花を見たように思ったが、接触はしなかったと見えて、双方ともそのまま通り過ぎた。小型バイクに乗っていたのも若者だった。十代の少年だったかもしれない。

 

 それは一瞬のことだった。バイクの若者の若さゆえの無謀な行為を、またその若さゆえの反射神経で間一髪のところで回避した瞬間だった。

 どちらかが襟子なら、また襟子の車が同じように急発進していたら、間違いなく死んでいた。死んでいたのは一人?二人?いや三人かも知れない。

🎇🎇🎇🎇

 襟子は、自らの恐怖心に無理やら蓋をし、交差点をなんとか通り抜けた。早鐘のように打つ心臓の音を感じながら、それでも無意識に手足をロボットのごとく動かし、幸運にもすぐに見つかったコンビニの駐車場にかろうじて車を乗り入れることができた。

 しばらくの間、襟子は震えを抑えられなかった。襟子の脳裏には、現実とは異なる映像が次から次へとカメラのフラッシュを焚いたように断片的に現れた。

 自分の車がバイクに接触。フロントグラスが粉々に砕け散る。バイクは車のフロント部分に乗り上げ、反動でもう一台のバイクに衝突。

 バイクに乗っていた二人の若者は何メートルも先にはね飛ばされて落ちる。地面に倒れ込む。ヘルメットが割ける。若者の体はあり得ない方向に歪む。

 ガラスの破片とバイクの部品が飛び散る。二人の若者の血しぶきが白っぽいアスファルトにいく筋もの流れを作る。

 自分はダッシュボードに顔を強打しかけるがエアバッグにせき止められる。軽自動車の前部は原形を留めず大破する。

 衝撃音、悲鳴、遠くから近づく救急車のサイレン…。はね飛ばされた若者の体が地面に落ちるドスンという鈍い音まで、襟子は聞いたような気がする。

 ハンドルに頭を押し付けたままの姿勢で、襟子はしばらく動けずにいた。次第に現実が戻って来ると、そこには数分前と寸分違わぬ平穏な日常の時間が流れているのだった。

 こういう時、大抵の人は「あぁ良かった、事故にならなくて本当に良かった…。」と胸を撫で下ろすのだろう。しかし、襟子は違った。

 …一瞬なのだ。ほんの刹那の出来事なのだ。しかし、そのほんの何十分の一秒かの違いで、人生は大きく変わってしまう。いや、その人生そのものがなくなってしまうこともあるのだ。

 襟子は恐ろしかった。恐ろしくてたまらなかった。自分は、いや人間は、いつ死ぬかもわからない。次の瞬間に何が起こるかさえわからないのだ。事故が稀有な出来事なのではなくて、今生きていることこそが、寧ろ稀有なことなのではないだろうか……。

 

 襟子は精神に破綻がきている病人ではない。鬱でもない。ごく平凡な四十代の既婚者である。仕事もしている。特に心配ごとがあるとかネガティブ志向の人間でもない。

 しかし、ふとした時に、襟子の心に「刹那」の二文字が影を落とすのである。全ては一瞬によって決まる。良くも悪くも…。

 少しずつ落ち着いてきた襟子は、とにかく帰宅するためにエンジンをスタートさせた。薄闇が迫る時刻だ。街にはちらほらと灯りも点り始めた。平静を装いながら襟子は車を走らせる。

 こんなことが、今までの人生の中に幾度かあった。一瞬の判断や状況の違いで人生が変わるようなことが…。あまりに平和な街の灯りの中を帰宅の途につきながら、割れてはいないフロントグラスに映っては後ろへ流れる夕暮れの景色に、遠い昔の光景が二重写しのように重なって見えてくるのだった……。

🌄🌇🌃🎇🎇🎇

 

 襟子が小学生の頃の夏、海水浴場の賑わいが聞こえる。…………………………

 

✨🌠今回はここまでにして、続きは次回に回したいと思います。私の小説「刹那~『襟子』」は第四章「濃厚接触」まで、まだまだ続きます。是非、続きも読んでくださいね❗

 昨年9月末にコンクールに出品してから8ヶ月。読み返すこともなく本棚の片隅の箱に入れたままにしてあった原稿を、改めてブログにするために読んでみました🙋。

 自分の書いたものは自分の分身のようなもの。愛おしいです😌💓 芹沢マリリンでした🎵

 

No.65 外に出たいストレスと付き合う……💧

 また一週間以上、発信が空いてしまいました😅 言い訳すると、あまりにも報道に変化がないからです💦

 私の住んでいる所の緊急事態宣言が、5月末まで延長されても、新規感染者数が7千人をゆうに超えて過去最高になっても、ニュース番組の報道時間が長くなるわけでもなく、新聞紙面を占める割合が増えるわけでもなく……というふうに思うんですが、違いますか?😓

 これ、凄いことですよね💦前から言っているように、変異株と後遺症にはもっと注意するべきでしたね、政府として❗

 菅総理が「変異株の脅威は予想してなかった」と記者の前で発言して失笑をかっていましたね💦びっくりです😱

 

 医療従事者のワクチン接種は、まだ2割だそうです😰 ごめんなさい、私はもう終わっていると思っていました💦

 アメリカ合衆国では、国民全体の5割に迫る接種率で、ワクチンに否定的な人にも打って貰おうと、美術館や野球の試合の鑑賞券をプレゼントにつけてまで、接種率を上げようとしているのに、全く我が国の対策は遅すぎます💥

 屋外ではマスクなしOKになり、ストレスフルな生活から脱しかけている明るい雰囲気のライブ映像を、垂涎の思いで見るしかないのが、日本の現状です💦

 まず、アメリカ合衆国ではワクチン接種の予約が不要❗一瓶10人分の半端な余りは、近所や知人に連絡して打って貰い、ロスが出ないようにしているそうです😃

 薬局でも予約なしで接種でき、買い物のついでにワクチン接種❗……少し前の「いつでもどこでも何度でもPCR検査」と似てますね☺️

 やる気になればここまでできるんです!感染者、死者が世界一多いアメリカの今の状況です🌈

 

 それに比べて、我が国日本はというと、素人のおばさんである私にも次のようなことぐらいは言えます!

◆大勢の優秀な研究者がいるにもかかわらず、以前から自国のワクチン開発に消極的で(副作用事故の裁判で負け続けたことが原因だと言われていますが)、研究費用の援助をほとんど行っておらず、他国頼みだった。

 このような世界的パンデミックの発生を考慮に入れておらず、危機管理に欠けているとしか言えない。

◆国立の病院を増やすことを重要視せず、保健所の統廃合を進めるなど、長年の医療行政の脆弱さの弊害が、今回の未曾有の医療危機にあたって露呈した。

◆第一次だけでなく、第二次、第三次の緊急事態の分析が充分に行われておらず、少なくても医療環境とPCR検査の拡充について、ほとんど改善が見られず、同じ過ちを繰り返している。

◆新しく起こってきた変異株、後遺症への研究と対策が後手に回って、効果を上げているように見えない。

◆海外からの変異株の流入を防ぐ、いわゆる水際作戦も後手に回っている。

◆休業要請などへの補償が充分でなく、政府関係者の不祥事も相次いで、政府の政策への信頼感がなくなってきている。

◆ワクチンの接種を含め、有効利用ができていない。

◆五輪への取り組みとの両立がかなり難しい。

 

……まだあると思いますが、5分あればこれぐらいのことは普通の人にも書けるのです。

 このじれったさが、コロナストレスの一部になっていると私は思うのです💧。

…………………………

 さて、そのストレスとうまく付き合っていかなければなりません💦 仕事が休みの日にお出かけするのが、私にとっては一番簡単なのですが、今はそれができません💦

 本来の私の趣味は次の3つでした。

1,海外旅行

2,映画鑑賞

3,読書

 それを効率よく実行するために、計画を立て、やるべきことをやり、時間を有効に使ってきました。

 ところが、1は、いつ再開できるかわからず、2は、ときどき不可能になります😓

 そのため、初めての緊急事態宣言から約1年半、そのストレスとの付き合い方をいろいろ試してきました。

 そんな悠長なことをやってる場合か……と叱られそうですが、私は私なりに様々大変な状況の中で、自分を守り精神の安寧を保ってきたつもりなので、怒らずに読み進めて貰えたらありがたいです😅

 私がやってきたことは次のように変わりました!

1,読書をする

2,本📕を書く

3,英会話を勉強する

4,断捨離をする

5,欧米のサスペンスドラマを観る

6,YouTubeを観る

7,ブログを書く

 

 「1,読書をする」については、以前ブログにも書きましたが、私は『作家ローラー読み』です!つまり、好きだと思った作家の本📕を片っ端から読むのです!

 この1年は松本清張に凝っていました❗十冊以上読みましたが、ここ十年で一番好きな本📕ができました❗それはブログにも書いた「砂漠の塩」です😆🎵

 二回続けて読んだ本📕は珍しいです!映画化してほしい!絶対観ます❗ヒット間違いなしです😆

 

 「2,本📕を書く」については、この2019年からの1年で2冊出版しました🎶

 趣味の旅行記『おばさんの海外旅行~あるあるエピソード集』(昨年5月発刊)と、38年間の教師生活のまとめ『(若い)先生たちへの応援BOOK』(昨年7月発刊)です🎶 好評発売中です(笑)🎶

 もう1つ、昨年9月末に文學界新人賞に初めての小説を書いて応募しました❗残念ながら賞は貰えませんでしたが、今までのエッセイと違った小説を書くのも、本当に楽しかったです‼️

 次回のブログから少しずつ紹介していこうかと思います🙋 タイトルは『刹那~襟子』です。自分では、とっても気に入ってます😆🎶

 

 「3,英会話を勉強する」については、これもブログに書きましたが、「スピードラーニング」は一昨年にやり切り、その後始めた「NHKラジオ英会話」を1年と4ヵ月続けています🙋

 発音は上手になったと自画自賛❗外国人と話すことに怖さはありません(笑)❗……が、単語力が決定的に不足(学生時代の不勉強が祟って)😭  自分の思いを伝えるにはまだまだというところです(笑)😅

 ただ英会話の勉強は本当に楽しい😆💕勉強が楽しいなんて、凄いことですよね😁🎶

 大好きな欧米のサスペンスドラマもサブタイトル(字幕)で観る方が楽しいのです❗こんな気持ち初めて😄

 

 「4,断捨離をする」については、一昨年から三回も大きいのをやりました❗捨てまくりました❗ゴミの収集をしてくださる方々には大変申し訳なく思っています😅。

 いよいよ懸案の部屋のリフォームにもかかります❗

必要なものだけで生活することの楽しさを知ってしまいました(笑)‼️

 

 「5,欧米のサスペンスドラマを観る」については、最近CSで「クリミナルマインドウィーク」をやっていました!一番好きなドラマです❗

 GWは毎日それを観まくりました❗またずっとAXNでは「CSI科学捜査班」を放映しています!いいドラマのファンは多いのでしょう😃 録画した分がまだ20時間以上残っているので、しばらく楽しめます(笑)❗

 

 「6,YouTubeを観る」については、最近趣味に加わりました!最近、地上波が本当に面白くないのです💦そう思いませんか?

 BSも今1つです。CSもダメな時は、YouTubeということになるわけです!

 今は行けない海外の風景や世界遺産は頻繁に観ています❗スマホより大きなTV画面で観ると更に面白いです❗

 あと、外国人の音楽PVや映画も観ます!一番最近検索して観たのは「ロイロノートの使い方」です😃

 

 そして最後に「7,ブログを書く」に至るわけです。1から6のまとめが「7,ブログを書く」であるわけです。

 こうして自分の思ったことを発信する……それによって考えがより深まる……というオマケもついてきます😃

やはり、私は文章を書くのが好きなのでしょう😊 

 好きなことをするとき、一番ストレスと上手く付き合っていると言える気がします、私は……。皆様お身体大切に❗ 芹沢マリリンでした🎵

 

 

 

No.641ヵ月で変わったこと、変わらないこと❗

 なんと、4月4日からほぼ1ヵ月ぶりのブログです😆🎵この4月に生活が大きく変わったので、さぼってしまいました😅(笑)

 しかし、ブログで「発信する」ということは私の生活の一部なので、このGWのstay home2回目を利用して再開を企んだわけです(笑)。

 激変の4月に、昨年の年頭から初めて1年以上続けた「新聞から時代を読む」も休止し、スクラップBOOKもNo.17で止まっていました。

 忙しさにかまけてさぼっていたわけではなく、あまりに状況が変わらないからです。…そう、コロナ禍の状況がです!

 前回のブログ発信時、4月3日のコロナの国内感染者数は2776人ほど。それから約1ヵ月後の、昨日4月29日の感染者数は、なんと5914人!2倍以上です❗

 1年前の第一回の緊急事態宣言発令時は、約500人でした!それを思えばびっくりするほどの激増です❗つまりコロナ感染者数は、減った時もありましたが、現在はまたひどい状況だということです💦。

 

 これが変わった点とするならば、変わらなかったもの、それは「不十分なコロナ対策」に他なりません。

 保健所も含めた医療体制は、結局大きく充実することなく、やっぱり逼迫しています💦。

 PCR検査数も、3万円(確か去年はそうでしたね…)から千円台になり、無償化もされましたが、普通の人が「いつでもどこでも何度でも」受けられる状態にはまだなっていません💦。

 今ごろ、「感染が広まる前に大々的にPCR検査をして、陽性者を隔離すれば良かった」…と政府の中でも言われているようですが、遅きに失しています💦。

 GW前に陰性証明を貰おうと、検査希望者が列をなし、「密」になっているという本末転倒が起こっているというニュースを見ました💦。

 緊急事態宣言が悪いわけではないのに、補償がきちんとなされないのと、政府高官や厚労省などの役人たちの不祥事が相次いで、もはや「国のために我慢しよう」という気も薄れてしまい、思ったような効果が出ていないというのが現実です💦。

 

 この1年、私たちの税金で働いている(高いのに…)政府の専門家の方々は、いったい何をしていたのでしょう⁉️

 1年前の状況をしっかり分析し、教訓を明らかにして次に備える……当たり前の科学的な対処を、充分してきたようには見えないのが残念です💧。

 ウイルスの方はどんどん賢く?なり、何度も変異を繰り返して、恐ろしいことに威力を増して来ています✨

 後遺症の方も、深く研究されないまま(私見ですが)、水面下で感染者の心と身体を蝕み続けています💧。新聞などで、後遺症に関する記事を読む度に胸が痛みます😥苦しんでいるのは、若い人や軽症だった人にも多いのです✨

 

 さて、命の綱は「ワクチン」です!変異株に効果が充分にあるのか疑問ではありますが、今はワクチン頼みです!

 医療従事者の妹は4月に入って、ようやく2回目の接種を終えました!65歳の夫には先日ワクチン接種券が届きました!

 医療従事者の方々への接種が完全に終わるのはいつなのでしょう?高齢者の方々に行き渡るのは、いったいいつなのでしょうか?

 まさか、ワクチン接種会場で接種に携わってくださっている看護師さんたちが、後回しになっているなんてことはないですよね😅

 昨年第2波と第3波の間にあったのが、GO-TO travelとGO-To eat、そして総裁選でした。今回第4波とともにあるのが、オリンピックと国政選挙です。

 大阪の医療はかつてないほどに逼迫しています!重傷者病床は115%を超えようとしています!一刻の猶予もありません✨

 家族には「交通事故に遭わないように気をつけてね!」「風邪を引かないでね!」というので精一杯です❗救急車が来てくれないかも知れないからです!これは大げさではありません。現実なのです…💦💦。

 

 10年ほど前にアメリカで「コンテイジョン」という映画が作られました。日本では大ヒットというわけではない映画だったので、私はリアルタイムに映画館では観ていません。

 ただ、私は興味があって観られる機会を狙っていました。まさか昨年観ることになろうとは、そしてあんな映画だったとは思いもよりませんでした❗

 昨年末、コロナ禍のニュースを見ているときに、ふとこの映画のことを思いだし、翌日DVDを借りてきて家族で観てびっくり‼️コロナ禍そのままだったからです😱

 映画が作られたのはコロナのコの字もない時!監督さんと原作者の先見の明には、ただただ驚くばかりでした!

 昨年末に観たその映画をつい最近YouTubeで観て、再度ショックを受けてしまいました👽あまりにコロナ禍と酷似しているからです❗

 「コンテイジョン」で描かれていた、コロナ禍と酷似した事柄を羅列してみます。きっと驚きますよ❗

◆発生源をたどると、森林の奥のコウモリ🦇が環境破壊のため、人家の近くに来たことから起こった!

◆感染経路をたどって原因を探ろうとする!

◆ウイルスに触れる、経口感染、空気感染へと感染力が高まる!

◆手洗い、マスクが推奨される!

◆人の集まる場所を消毒する!

◆ソーシャルディスタンスをとることが推奨される!

◆学校が閉鎖され、子供の養育に問題が起こる!

◆外出禁止令が出される!

◆ロックダウンが起こる!

◆社会秩序が揺らぎ、スーパーマーケットなどが襲撃される!

◆偽の薬がネットで評判になり、一部の人がそれで儲けようとする!

◆薬局が襲撃される!

戒厳令が出され群馬県が出動する!

◆AIDSウイルスとの合体した変異株が生まれて、重傷者が急激に増える!

◆医療現場が逼迫する!

◆感染爆発が起こる!

◆体育館などの広い場所が治療の場所として使われる!

医療崩壊蛾起こる!

◆ワクチン開発が急がれる!

◆ワクチンをめぐって誘拐事件やテロが起きる!

◆ワクチン接種の抽選が行われるが、政府高官の中にはは身内を優先する人が出てくる!

◆死者が多数出て埋葬が間に合わず、ホロコーストのように集団埋葬が行われる!

………………どうですか?私の言っていたことがわかっていただけると思います😓。びっくりしますよね、コロナ禍そっくりです💦。監督さんと原作者は予言者かと思ってしまいます✨

 映画では、ワクチンが行き渡ることによって、感染が減少していくのではないかと、明るい兆しが見えるところで終わります。せめてもの救いです。

 ……が、現実でもやはりカギを握るのはワクチンなんだと改めて思いました❇️

 

 明日からGWも本格的です。stay  homeの連休、我慢の連休(去年の連休もそうでした!)です。遠出はせず、外食にもなるべく控え、自宅で静かに過ごそうと思います😊。

 お天気のいい日に、お弁当を持ってピクニックかウォーキングにでも行こうかと思います。……えっ!それもダメですか?💦

 皆様、ご自愛くださいね😃 芹沢マリリンでした🎵

 

 

 

No.63 ウルルと「北の国から」

 今日のコロナ感染者数は2776人、大変なことになってきています。厚労省の職員の大人数の会食のニュースに呆れ果て、言葉を失い、言葉を紡ぐ意欲まで削がれました😥。

 言いたいことはいっぱいありますが、今回は久しぶりのブログなので、あえて、コロナとは全く異なるお話から始めてみたいと思います🙋。

 

 私は、4年前にオーストラリアに旅行しました🎵その時に世界遺産ウルル(エアーズロック)に行ったのですが(詳しいことは、私の第1作「おばさんの海外旅行~あるあるエピソード集」をご覧くださいませ😄)、ウルルに登ることができませんでした。

 もともとウルルは先住民アボリジニの聖地ですから、そこを登ってしまうなど、申し訳ないようなことですが(2019年10月に正式に登山禁止になりました)、せっかく行ったのに登ってみたいと思うのは、当時の人情としては理解できます😅。

 ちょうど私たちが行った時、現地の有力者の方が亡くなったとかで急遽登山中止になりました。高所恐怖症の私は登れる気がしなかったので、ひそかに心の中でほっとしてしまいました…🙆。

 しかし夫はそのことを非常に残念がっていて、最近YouTubeをテレビで見ていて、「ウルル登山体験記」を見つけたのです!

 約2時間かけてウルルを登る動画をわくわくしながら見ました!これはあかん❗私にはやっぱり無理😂。

あの斜度、あのツルツルの岩肌、あの距離…私の力では攻略できそうにありません💦。

 私の豊かな想像力は、足を滑らせて落ちていく自分を姿、登るだけでなく降りることもできなくなって、岩影にしがみついて、(なんでこんなところに来てしまったかなぁ…やっちまった!)と後悔する自分の像を、明確に結んでしまったのでした…。

 そういうわけで、(登れたかも…)という私の「やり残し感」は見事に雲散霧消していったのでした(笑)…。

……………………………

 さて、まずはいつもの「新聞記事から時代を読む」

を始めたい思います🙋。最初に打ってから半月もたっているので、様子が変わっているのが興味深いです。

⭕コロナ関連

▲文化関連

🔵政治情勢

●外電

・その他

3月21日

🔵⭕五輪海外客断念決定 国内上限、来月方針 5者協議

⇒お医者さんたちは、最大限譲歩して、無観客で…と言っていますが、どうなるでしょうか…。

 

🔵⭕各国残念・同情「当然」も 中国の書き込み「受け入れ見送りは賢明な選択だ」「海外から誰が見に行きたいと思うのか」世界的に感染が収束していない状況では「当然」

⇒あまり新聞には載っていませんが、外国の方は今の日本に来たいものなんでしょうか…。

 

🔵⭕五輪海外客断念 経済効果切り捨て ワクチンIOCと溝 観光業頼みは国内客

⭕国内感染者数 1517人

⇒半月前は、こんなもんでしたか…。

 

3月22日

●アジア系への憎悪「もう無視しない」 銃撃事件受け 米各地抗議デモ

⇒コロナが報道され始めた頃、アジア系の人へのアメリカやヨーロッパでの暴力のニュースがありましたが、最近また多くなって来ました💦。

 コロナは恐ろしいですね😥。人間の汚い部分を顕在化してしまうようです😰。

 

▲教員免許更新制 弊害は明らか 早急に廃止を 全国市長会も強く批判 現場の声を聞き決断を

⇒このご時世、教師を目指す人が減っています。数が減れば質が下がります。失礼な言い方ですが、科学的な真実です。

 教育の質を下げないためには、退職教員に再び教壇に立って貰うことが必要です。そのために弊害となるベテランの免許更新制度は、せめて考え直してほしいと思います🙋。

 

▲少人数学級効果検証は総合的に 文科省からも同趣旨の答弁 関係者から意見相次ぐ

⭕国内感染者数 1119人

⭕緊急事態全解除4都県終了 変異株への対応全入国者に拡大

⇒今から思えば、緊急事態宣言が解除されたこのあたりから、感染者数はうなぎ登りに増えていくのです💧。

 

東京五輪「中止」「延期」7割超 海外5ヵ国世論調査

◆タイ→95.6%

◆韓国→94.7%

◆中国→82.1%

◆米国→74.4%

◆フランス→70.6%

⇒開催国以外の考えはそうでしょうね💦。

 

3月26日

●米政権に「先制攻撃」関係国、駆け引き本格化

🔵河井元法相辞職願を提出 補選行わず衆院選に統合

⭕大阪・兵庫時短延長へ 来月以降、対象地域も拡大

⭕国内感染者数 1917人

⇒たった4日間で800人も増えてしまいました!

 

⭕🔵聖火福島を出発 コロナと「伴走」危ういリレー 復興の意図曖昧に

⭕🔵「トラベル」再開6月以降 自治体割引に3000億円支援

⇒たとえ地域を限定しても、今これを論議する時でしょうか…?

 

3月30日

スエズ運河航行再開へ 通信社報道コンテナ船離礁  

ミャンマーからタイ、インドへ 国境超え避難急増

⭕国内感染者数 1345人

⭕大阪「蔓延防止」要請へ 週内に知事「第4波入った」 週内なら客マスク義務

 

3月31日

ミャンマー死者510人 国軍弾圧子どもの犠牲相次ぐ

ミャンマーの政情不安が止まりません💥。なんとかならないものでしょうか…。

 

●香港選挙民主派排除可決 全人代常務委 「1国2制度」崩壊

・テラハに「倫理上問題」 木村花さん死去 BPO人権侵害は認めず 時代合わぬ見解

・妊娠部下に「タイミング最悪」 大阪・住吉区課長マタハラで停職

⇒この人は新聞読んでないのでしょうか、最悪😖💦💨

 

・国語「現代社会のよう」 論理的思考養成に重点 22年度から使用高校教科書 読解力の向上狙う 「言葉の魅力伝わらない」反対根強く

⇒10数年以上前から、教科書改訂の度に、教科書から文学作品が消えていきました😭。国語科の教師としては、悲しい限りです…。

 プレゼンテーション能力の育成も確かに必要ですが、文学作品を読み込むことで心を豊かにしていくことの大切さを軽く考えてはならないと私は思います!

 寧ろ、こんな時期だからこそ、子どもたち、生徒たちに、骨のある文学作品をじっくり読ませなければならないと考えます。そして、それができるだけの基礎学力の向上が大切です!

 

・「使える英語」の育成重視 「問い」や「話し合い」工夫 22年度から使用

⭕国内感染者数 2088人 「まん延防止」適用検討 コロナ政府、大阪府要請なら

⭕コロナ登場五輪影薄く 22年度から使用高校教科書

 

4月3日

●台湾特急脱線50人死亡 140人以上負傷 工事車両と衝突か

●タイ 避難民対応苦慮 ミャンマーから大量流入懸念

・別姓 自民内の対立過熱 WT初会合 公約集約、難航か

田中邦衛さん死去 俳優「北の国から」「学校」

⭕まん延防止 3府県との往来自粛 GW直撃観光業落胆 来客期待していたのに

⭕国内感染者数 2761人

⇒一気に増えて来ました!今やるべきことを誤ると、大変なことになります。五輪どころではなくなる可能性もあります。

 ワクチンを早く普及させることです❗変異株のまん延より早く❗早くしないと、コロナ変異株の生命力に負けてしまいます‼️

……………………………

 俳優の田中邦衛さんが88歳で亡くなって、追悼番組として彼の代表作品「北の国から,87 初恋」が4日放映されました。

 34年前の作品です。私はまだ教師になって数年の頃でした。間もなく、「北の国から」のシナリオが国語の教科書に載り、私は発展学習としてこの「北の国から,87 初恋」を生徒たちに見せたことがあります。

 偶然やっているのを見つけてちら見するはずが、とうとう2時間、最後まで見てしまいました…。名作です!素晴らしいです!涙なしでは見られません💧💧。

 親子のビミョウな距離、兄と妹の遠くて近い間柄、農業をめぐる問題、個人と地域との関係、思春期のほのかな恋心など、様々な要素が複雑に絡まり合った世界で、人間って、なんてけなげに一生懸命生きているんだろう…と、思わず考えてしまいます😂。

 そして、どの人も抱きしめたいくらいいとおしく思ってしまうのです😭。もう、生きてるだけでもう充分、それでいいんだよと、大声で叫びたくなるのでした💧。

 たしか、自死されて、今は亡き俳優の古尾谷雅人さんが演じられた、東京への定期便トラックの運転手の名演が、改めて感慨深く胸に沁みました…。

 彼の一言一言の意味が、今回特に心に刻まれています。彼は純に「ピン札に泥が付いている。お前の親父の指に付いていた泥だ。俺は受け取れない。お前が持っていて、一生の宝物にしろ。」と言います。

 純にこんなことを言える、その運転手の人生が透けて見えてくるのです。

 倉本聰さんのシナリオの素晴らしさと、それを演じる俳優さんたちの、厚みのある素晴らしい演技を堪能し、密度の濃い時間を味わうことができました🙋。

芹沢マリリンでした🎵